2017/09/20 (水)

だらだらの満喫。


やっとブログを更新する気になった。

今年の夏は忙しくて、ブログどころではない感覚が「検察側の罪人」クランクアップまで続いていた。9月4日に主要キャスト部分をすべて撮り終えても、5、6、7、10、12日と行事が続き、おまけに冷蔵庫も壊れた。

冷蔵庫を買い替えてからは合成部分の先行編集を数日続け、そうでないときはだらだらの満喫にベクトルを向けた。

私のエネルギーの源泉は「だらだら」にあると思う。

作品を作ってないときのだらだら感は、先ず経済的に安定していなければなかなか出て来ない。私生活と業務の充足部分のつなぎにある「だらだら」は健全な精神を育んでくれる。「だらだら」は幸福のサイドバーかもしれない。


この間、ドジャースがだらだらしてしまったことには困った。「関ヶ原」がオープンした8月26日に、突如、ドジャースの急降下が始まったのだ。以降の18試合は1勝17敗。ポストシーズンに向けての戦力調整が裏目に出たのか、もともと脆いチームなのかよくわからない。

いずれにせよ、ドジャー・ゲームと「興行収入を見守りたい!」を眺めるのがクランクアップ以降の日課ではあった。

中断していたゴルフも既に2ラウンド回ったし、映画鑑賞も2回こなした。

2本の映画は、「関ヶ原」がノックアウトした「ワンダー・ウーマン」と、3週目で「関ヶ原」を抜いた「ダンケルク」だ。どちらもアメリカの批評がよくて、早く見たいと思っていた。



「ワンダー」は驚く程の愚作だった。脚本がお粗末。演出が平板。ヒロインが不快。総じて、新生ワンダー・ウーマンの評価は高いが、私は、感性の鈍い大根女優が眉根を寄せて刻む四本の縦じわに愕然とした。

眉間の縦じわは、悪相と言える。

しかも、彼女ができるアクションは、走ることとジャンプすることだけ。それ以外は吹替えで、CGで顔を作っている。イスラエルの軍隊にいたのは事実としても彼女の身体能力は相当に低い。

製作とストーリーに絡むザック・スナイダーが「300」で開発した役者人体改造のノウハウを生かして本人に見せかけようとしているだけ。アクションが出来る主演女優を使ったと判断できるアクション・コレオグラフは皆無。飽きたし、呆れた。

一方の「ダンケルク」。アメリカの批評ではクリストファー・ノーランの最高傑作であるばかりではなく、戦争映画の歴史に残る傑作といったものもある。総じて評価は高い。

予告編を見たときに、おそらくそういう傑作なのだろう、と私も思い、映画が始まった。導入部、いくつかの美しいショットがあった。わくわくした。それが、時間の経過とともに徐々に萎んでいく」・・・。



結論から言えば、ノーランの最高傑作は「インセプション」のままである。戦争映画の歴史という観点に立つならば、ノーランのこだわりが傑作を失敗作に押し下げた。

以下はネタばれもあるので、その辺、留意してお進みあれ。

私は、ダンケルクの撤退作戦を長い間見たいと思っていた戦争映画ファンである。ジャン・ポール・ベルモンド主演のフランス側からの視点「ダンケルク」には失望し。10代の頃は「ダイナモ作戦」のエピソードを読みあさった記憶もある。ダイナモというのは英国民間船舶に協力を仰いだ大撤退作戦だ。英国人の心意気の発揚だ。

そういった「国民感情」をノーランは嫌っていたのか、照れくさかったのか、ダイナモ作戦の全貌は、この映画ではわからない。民間船舶は、海軍の意向を無視してダンケルクへ向かう一艘の小舟に集約され、数百艘の船舶による「大撤退」はワンカットに集約されている。「関ヶ原」の戦いをワンカットで語るようなものだ。

最大の問題点は、ノーランの好きな時間のお遊びだ。

冒頭に出て来る「防波堤 1週間」、「海 1日」、「空 1時間」という字幕が私には謎だった。「1週間前」とか「1日前」の字幕なら理解できるが、これはなんだ?と考えながら、作品世界に入って行った。

このこと自体は決して不快ではないし、文句もない。THOUGHT PROVOKINGなアプローチは、映画を見る愉しみでもある。

映画というのは、前知識が限られていればいるほど面白く鑑賞できるわけだから、この三つの時間帯に関して知らないで「ダンケルク」は見るべきである。



見ているうちに、若い英国兵フィオン・ホワイトヘッドと指揮官ケネス・ブラナーを主役とした「防波堤」ドラマが1週間、マーク・ライランス主役の「海」が一日、トム・ハーディの「空」が1時間の出来事であることがわかってくる。その三つの時間帯をカットバックさせることによって生ずる「時間のひずみ」にノーランは興味を持ってしまったのだ。

結果として、この上映時間106分の映画は、「一時間」のドラマしか描いていなにのではないかという印象を持つに至る。

つまり「防波堤」の一週間が、「空」の一時間に引きずられて一週間の「長い時間割」感が消滅するのだ。

もっとわかりやすく言うと、同じ軍服で同じ防波堤に立ち続けているだけのエピソードしかない防波堤の指揮官ブラナーに、一週間分のリアリティがない。スピットファイアの操縦席に座ったままのハーディと同等の「1時間分のリアリティ」しかない。

リアル感のない戦争映画は「見えない敵兵」というコンセプトでさらに冗長される。どんどんゲーム世界に近づき、歴史の1ページから外れていく。

さらに、1時間ドラマのスピットファイア三機が追い抜いた一日ドラマのライランス船舶とクライマックスの時間帯を共有させることの無理が生ずる。リアルに考えれば、両者の時間帯がダンケルクの浜辺で一致する筈がない。

この題材にとってのベストのアプローチは、オーソドックスに防波堤と海と空の一週間の動きを交錯させるべきだったと思う。映画は時間軸をいじることよりも人間を描くことに主眼を置くべきだ。それぞれの人物の一週間を密度濃く描くことによって「戦争映画の歴史に残る傑作」は確実に生まれたと思う。

リアルな撮影にこだわる割に、ノーランは、リアルな人物描写をないがしろにしてしまう。船舶の沈没などはリアルである必要はない。製作費は、ブラナーやライランスやハーディの役どころがどのような一週間を過ごし、ダンケルクで邂逅したのかに費やされるべきだった。

106分の高価な「小品」ではなく、180分の高貴な英国魂を、私は見たかった。映画人の多くがそう思う筈だ。少なくともデーヴィッド・リーン・エピックを愛するものは。

ゆえに、ノーランの「ダンケルク」は「アカデミー賞最有力」とはなりえない。


2017/09/20 (水)

だらだらの満喫。


やっとブログを更新する気になった。

今年の夏は忙しくて、ブログどころではない感覚が「検察側の罪人」クランクアップまで続いていた。9月4日に主要キャスト部分をすべて撮り終えても、5、6、7、10、12日と行事が続き、おまけに冷蔵庫も壊れた。

冷蔵庫を買い替えてからは合成部分の先行編集を数日続け、そうでないときはだらだらの満喫にベクトルを向けた。

私のエネルギーの源泉は「だらだら」にあると思う。

作品を作ってないときのだらだら感は、先ず経済的に安定していなければなかなか出て来ない。私生活と業務の充足部分のつなぎにある「だらだら」は健全な精神を育んでくれる。「だらだら」は幸福のサイドバーかもしれない。


この間、ドジャースがだらだらしてしまったことには困った。「関ヶ原」がオープンした8月26日に、突如、ドジャースの急降下が始まったのだ。以降の18試合は1勝17敗。ポストシーズンに向けての戦力調整が裏目に出たのか、もともと脆いチームなのかよくわからない。

いずれにせよ、ドジャー・ゲームと「興行収入を見守りたい!」を眺めるのがクランクアップ以降の日課ではあった。

中断していたゴルフも既に2ラウンド回ったし、映画鑑賞も2回こなした。

2本の映画は、「関ヶ原」がノックアウトした「ワンダー・ウーマン」と、3週目で「関ヶ原」を抜いた「ダンケルク」だ。どちらもアメリカの批評がよくて、早く見たいと思っていた。



「ワンダー」は驚く程の愚作だった。脚本がお粗末。演出が平板。ヒロインが不快。総じて、新生ワンダー・ウーマンの評価は高いが、私は、感性の鈍い大根女優が眉根を寄せて刻む四本の縦じわに愕然とした。

眉間の縦じわは、悪相と言える。

しかも、彼女ができるアクションは、走ることとジャンプすることだけ。それ以外は吹替えで、CGで顔を作っている。イスラエルの軍隊にいたのは事実としても彼女の身体能力は相当に低い。

製作とストーリーに絡むザック・スナイダーが「300」で開発した役者人体改造のノウハウを生かして本人に見せかけようとしているだけ。アクションが出来る主演女優を使ったと判断できるアクション・コレオグラフは皆無。飽きたし、呆れた。

一方の「ダンケルク」。アメリカの批評ではクリストファー・ノーランの最高傑作であるばかりではなく、戦争映画の歴史に残る傑作といったものもある。総じて評価は高い。

予告編を見たときに、おそらくそういう傑作なのだろう、と私も思い、映画が始まった。導入部、いくつかの美しいショットがあった。わくわくした。それが、時間の経過とともに徐々に萎んでいく」・・・。



結論から言えば、ノーランの最高傑作は「インセプション」のままである。戦争映画の歴史という観点に立つならば、ノーランのこだわりが傑作を失敗作に押し下げた。

以下はネタばれもあるので、その辺、留意してお進みあれ。

私は、ダンケルクの撤退作戦を長い間見たいと思っていた戦争映画ファンである。ジャン・ポール・ベルモンド主演のフランス側からの視点「ダンケルク」には失望し。10代の頃は「ダイナモ作戦」のエピソードを読みあさった記憶もある。ダイナモというのは英国民間船舶に協力を仰いだ大撤退作戦だ。英国人の心意気の発揚だ。

そういった「国民感情」をノーランは嫌っていたのか、照れくさかったのか、ダイナモ作戦の全貌は、この映画ではわからない。民間船舶は、海軍の意向を無視してダンケルクへ向かう一艘の小舟に集約され、数百艘の船舶による「大撤退」はワンカットに集約されている。「関ヶ原」の戦いをワンカットで語るようなものだ。

最大の問題点は、ノーランの好きな時間のお遊びだ。

冒頭に出て来る「防波堤 1週間」、「海 1日」、「空 1時間」という字幕が私には謎だった。「1週間前」とか「1日前」の字幕なら理解できるが、これはなんだ?と考えながら、作品世界に入って行った。

このこと自体は決して不快ではないし、文句もない。THOUGHT PROVOKINGなアプローチは、映画を見る愉しみでもある。

映画というのは、前知識が限られていればいるほど面白く鑑賞できるわけだから、この三つの時間帯に関して知らないで「ダンケルク」は見るべきである。



見ているうちに、若い英国兵フィオン・ホワイトヘッドと指揮官ケネス・ブラナーを主役とした「防波堤」ドラマが1週間、マーク・ライランス主役の「海」が一日、トム・ハーディの「空」が1時間の出来事であることがわかってくる。その三つの時間帯をカットバックさせることによって生ずる「時間のひずみ」にノーランは興味を持ってしまったのだ。

結果として、この上映時間106分の映画は、「一時間」のドラマしか描いていなにのではないかという印象を持つに至る。

つまり「防波堤」の一週間が、「空」の一時間に引きずられて一週間の「長い時間割」感が消滅するのだ。

もっとわかりやすく言うと、同じ軍服で同じ防波堤に立ち続けているだけのエピソードしかない防波堤の指揮官ブラナーに、一週間分のリアリティがない。スピットファイアの操縦席に座ったままのハーディと同等の「1時間分のリアリティ」しかない。

リアル感のない戦争映画は「見えない敵兵」というコンセプトでさらに冗長される。どんどんゲーム世界に近づき、歴史の1ページから外れていく。

さらに、1時間ドラマのスピットファイア三機が追い抜いた一日ドラマのライランス船舶とクライマックスの時間帯を共有させることの無理が生ずる。リアルに考えれば、両者の時間帯がダンケルクの浜辺で一致する筈がない。

この題材にとってのベストのアプローチは、オーソドックスに防波堤と海と空の一週間の動きを交錯させるべきだったと思う。映画は時間軸をいじることよりも人間を描くことに主眼を置くべきだ。それぞれの人物の一週間を密度濃く描くことによって「戦争映画の歴史に残る傑作」は確実に生まれたと思う。

リアルな撮影にこだわる割に、ノーランは、リアルな人物描写をないがしろにしてしまう。船舶の沈没などはリアルである必要はない。製作費は、ブラナーやライランスやハーディの役どころがどのような一週間を過ごし、ダンケルクで邂逅したのかに費やされるべきだった。

106分の高価な「小品」ではなく、180分の高貴な英国魂を、私は見たかった。映画人の多くがそう思う筈だ。少なくともデーヴィッド・リーン・エピックを愛するものは。

ゆえに、ノーランの「ダンケルク」は「アカデミー賞最有力」とはなりえない。


 a-Nikki 1.02