2020/01/18 (土)

天国と半地獄。


黒澤明監督の名作「天国と地獄」。英語タイトルは「HIGH AND LOW」。この縦割り構造をヴィジュアルに今の技術で昇華させた映画が「パラサイト/半地下の家族」だと言える。カンヌで最高賞にも輝きアカデミー賞でも作品賞、監督賞を含む6部門でノミネートされた。トマト・メーターの絶賛評は殆どが満点絶賛だ。

確かに、アクト2にあたる「豪雨の一夜」のくだりは素晴らしい。殊に、ソン・ガンホが子供ふたりと共に高台の家を抜け出し、豪雨の坂を下り、階段を駆け下り、半地下の家に帰宅する顛末は、その後のなりゆきを含めて、圧倒的な映像造形力だ。

ではアクト1と、仕上げのアクト3はどうか。



ポン・ジュノの作品に、私がいつもうんざりしてしまうのは役者の使い方だ。発音をはっきり大袈裟に、という過剰演技が、OVER THE TOPといった範疇を超えてグロテスクにTOO MUCHなのだ。

ちなみに、私が今までに見たポン・ジュノ作品を製作年代順に記せば以下のようになる。

「殺人の記憶」2003
「グエムル」2006
「母なる証明」2009
「スノーピアザー」2013/中途で興味喪失。
「オクジャ」2017/中途で興味喪失。

見続ける理由は、いつもどこかにある映像造形力。途中でリタイアした二作品は、役者の使い方のヘタさが要因だ。殊に「スノーピアザー」のティルダ・スウィントン、オッタビア・スペンサーのお粗末な演技とデキの悪いVFXには死ぬ程驚いた。

リストの中で好きなのは「殺人の追憶」だが、これにしても後半の、ソン・ガンホの不可解にコミカルな演技に首をひねった記憶がある。

「グエムル」は限られた予算の中で、メタフォアに満ちた怪獣ものを作った根性に拍手をしたが、演技陣に魅力がなかった。

「母なる証明」はオモニの強烈愛の濃厚描写に気分が悪くなった。一応、最後まで見ることはできが、今、振り返って、記憶に残る名場面は何もない。



「パラサイト」は、大いなる期待をもって臨んだのだが、結果は、アメリカの批評家たちが大絶賛したジョーダン・ピールの「ゲットアウト」を見た時と同じ「肩すかし」だった。なんでこれが、こんなに評価されるの、である。

殊に、アクト1のセットアップで落胆した。大袈裟な芝居とご都合主義の懐柔。
「天国」のパク一家の、殊にヨメが無邪気過ぎで「半地獄」のキム一家の潜入工作が杜撰に見える。ブラック・コメディだから、というのは言い訳にならない。脚本の段階で、もっと知恵を絞れ、である。これでは「下女」をリメークした不快な「ハウスメイド」以下だな、とも思った。このアクト1を耐えぬけば、素晴らしいアクト2が見えて来るのだが、アクト3で、またアクト1の、知性のかけらもない事件のしめくくりを迎える。

例えばアスガー・ファルハディの「別離」に於ける持つ者と持たざる者のクロスロードと比較するならば、演技の差異はさておき、プロットの根底にある希望=子役の扱いに関して、「パラサイト」はケアが足りなかった。

持たざる者の子は、ラストに未来の計画を語るのだが、持つ者の子供たちは、騒動の最中から消滅し、道具として使い捨てられてしまう。パク家のヨメも、おばかぶりだけが突出して最後は気絶してさようなら。

役の閉じ方に関して、しまりがない。こういう主要キャストの「無責任な使い捨て」の映画を、私は評価できない。

「別離」の子役のレベルに到達するのは無理にしても、アクト2の見事な映像の奔流に接して、アクト3は、オーヴァーアクトを洗い流したギアチェンジのナチュラルな演技を、子役を含めた全員が、展開してくれることを祈ったが、ポン・ジュノはひたすらあざとさに舵を切ってしまった。


2020/01/14 (火)

CHEATERS! 詐欺師ども!


公式にヒューストン・アストロスはチーターズの汚名をまとうことになった。

2017年のワールド・シリーズで、アストロスはエレクトリック・デヴァイスを使ってサインを盗み、ドジャースの投手陣を打ち崩したことが証明された。

ヒューストンで行われたGAME3のダルヴィッシュ、GAME5のカーショーとモローの不可解な投壊は、そういうことなのだ。サインを盗まれなければ、ドジャースはGAME5、もしくはGAME6で優勝を決めていたと推測できる。

この正式発表を受け、アストロスのオーナーはGMのルーナウと監督のヒンチを解雇した。



ただしサイン盗みのシステムを構築したのは、ルーナウでもヒンチでもなく、当時アストロスのベンチ・コーチだったアレックス・コーラだ。

コーラは2018年にボストン・レッドソックスの監督となり、ワールド・シリーズに進出。ドジャース相手に、このシステムを使い、優勝した。

レッドソックスのCHEATに関しては現在MLBが調査中。数日中にコーラへの懲罰が公表される。

私は、アレックス・コーラは永久追放となるべきだと思う。

この不正はコーラを中心に選手たちが率先して行ったわけだが、MLBコミッショナーのロン・マンフレッドは選手への懲罰はない、と言明している。関わった選手全員を罰することは、既にアストロス、あるいはレッドソックスを離れ他球団でプレイする選手もいるわけで、問題がMLB全体に広がる。

さらにいえば、程度の差はあっても、エレクトリック・デヴァイスを使った違法なサイン盗みを行っているチームは他にないとは言えない状況もあり、グレイゾーンはグレイゾーンのままにしておかないと、2020シーズンが機能しなくなる可能性もある。

それだけに、球界全体への警告を込めて、アレックス・コーラは厳罰=永久追放に処すべきだと思う。

これによって、ドジャースが2017年と2018年のワールド・シリーズ覇者のタイトルを得ることはないが、アストロスとレッドソックスのタイトルは剥奪すべきだろう。つまり、2017年と2018年のワールド・シリーズは、勝者なし、ということになる。

以前、2017年ワールド・シリーズの戦犯筆頭はダルヴィッシュだ、と私は斬り捨てた。ダルヴィッシュはドジャースを優勝に導くツールを持っていた。ごめんよ、ダルヴィッシュ。

カーショーはポスト・シーズンのお荷物だとも思ったが、そうではなかった。2020シーズンでは、カーショーのポスト・シーズンでのリヴェンジを期待しよう。


2020/01/13 (月)

バッキンガム宮殿からセントラル・パークへ。


この一週間、「ザ・クラウン」シーズン3を見続けてバッキンガム・パレスの住民になった気分でいたのが、昨夜一気にセントラル・パークにワープした。

昨年6月にNETFLIXで配信開始されるやアクセスの新記録を打ち立てた話題のリミテッド・シリーズ “WHEN THEY SEE US”だ。邦題は「ボクらを見る目」。

原題は、インヴィジブルな黒人たちが「見える」という事態を、皮肉をこめて伝えているわけで、順当に訳すならば「ボクらが見える時」だろう。

一般的には「THE CENTRAL PARK FIVE」と呼ばれる事件だ。

監督のエヴァ・デュヴァーネイに言わせると、「彼らは一人一人名前のある五人の少年たちだから、セントラル・パーク・ファイヴでくくりたくなかった」ゆえにタイトルをWHEN THEY SEE USにしたのだそうだ。

無論、2012年にケン・バーンズが作ったドキュメンタリーが「ザ・セントラル・パーク・ファイヴ」だったことも無関係ではないだろう。



「ザ・クラウン3」は、オリヴィア・コールマンが二代目エリザベスを襲名して、さらに硬質な王室ドラマに昇華されている。

私が心底感動したのは#3の「ABERFAN」。アバーヴァン炭鉱の悲劇が荘厳なタッチでドラマ化され、「病院へは行くが事故現場には行かない」とする女王の苦悩が描かれる。

つまり、「事故が起きた結果はフォローするが現在進行形では動かない」又は「行動を起こさないことを基本とする」立憲君主制のプリンシプルを通そうとするエリザベスと世間の目の、高尚なるせめぎあいの一幕である。同じ原理はダイアナ妃の事故死でも繰り返されることになる。

この流れは、クリエイターのピーター・モーガンにしてみれば、2006年の「ザ・クィーン」で存分に描いたものでもある。「日本のいちばん長い日」に於ける昭和天皇の聖断を描く上で、私が参考にさせてもらったプリンシプルでもある。



#4の「BUBBIKINS」では持たざるものとしてのプリンセス・アリス(フィリップの母)を演ずるジェーン・ラポティアの存在感に心打たれた。どこでこのような老女優を見つけて来たのかと思ったら、かつてのA級監督ローランド・ジョッフィのヨメであったこともある舞台女優だった。

#5の「COUP」ではチャールス・ダンス演ずるマウントバッテン卿とエリザベスの対決、王室のアウトサイダーであるプリンセス・アリスとマウントバッテンの慰め合いなど名場面が続出。シナリオでは、アリス/マウントバッテンでエピソードを閉じる予定だったそうだが、このシーンの撮影を見ていたモーガンはさらなるエピローグを急遽書き加えた。それが、エリザベスとフィリップの束の間の対決とセックスへのプレリュードの会話。オリヴィア・コールマンとトビアス・メンジースの、息が合った名場面に仕上がっている。

このような柔軟な発想がモーガン脚本の魅力だ。そんな事情は去年秋のニューヨーク・タイムス・マガジンの、ピーター・モーガン取材記事に詳しい。

#6の「TYWYSOG CYMRU(プリンス・オヴ・ウェールズ)」はチャールス皇太子を演ずるジョッシュ・オコナーが、ご本人のニュアンスをそっくり踏襲した名演技で、これまた感涙感動エピソードとなり、#7の「MOON DUST」はまったくの作り話という批判もあるが、月面着陸のニュースにパイロットとしての血が騒ぐフィリップの、心の拠り所を描いて興味深く、ワクワクしながら#8に臨み、私の「正義」は木っ端みじんになった。



イギリス在住の日本人俳優伊川東吾演ずる昭和天皇が登場したのだ。侍従もつけず、皇后陛下と思しき女性ひとりを配しただけで昭和天皇が、パリのウィンザー公を表敬訪問するーー。嘘だと言ってよ、ジョー!と叫びたくなったね。

脚本と演出の工夫がなく、安上がりで済ませたいのなら、昭和天皇は昔の日本映画のように、遠景か、背後か、シルエットで見せるべきではなかったか。正面から、報道陣の姿を見て、ぼやく天皇を撮る下衆の魂胆に呆れた。

実を言うと、#8は撮影のトーンも、それまでの作品とは違う。つまりアドリアノ・ゴールドマンやフランク・ラムが作り上げた「色調」が、安っぽい真似事に堕しているのだ。

シーズン3の演出は、#1から4をベンジャミン・キャノン、#5&6がドイツのクリスティアン・シュヴォッホー、#7がジェシカ・ヒブスで、この3人は映像センスを共有している。#8、9だけは、ファビアン・ワグナーの撮影で、演出もサム・ドノヴァンとなっている。映像的にはシリーズ最悪の2本だ。

#8で、白けた私は、しばらく「ザ・クラウン」から離れようと思い、丁度配信開始となった「GIRI/HAJI」を見ることにした。

島左近が主役で島信勝も出ている。さらには本木天皇も、「検察側の罪人」以来原田組常連となった酒向芳も出ているNETFLIX&BBC制作のシリーズだ。見逃せるわけがない。



と思って、エピソード1を見始め、これまた愕然。ジョー・バートンが書いた脚本があまりにお粗末。ジュリアン某の演出が安易。この連中、日本の警察機構、あるいはヤクザ社会のリサーチをしたのだろうか。これまた SAY IT AIN’T SO JOE!

基本のプロット展開が幼稚とクリシェーの間で、ふらふらしている。ヒロインとなるべきケリー・マクドナルドの扱いも、「セックス・アンド・ザ・シティ」風で愕然。今までで最も下手なケリーを見た。

もし見ておく価値があるとしたら、将来、監督としても俳優としてもAクラスにのし上がる日英ハーフのウィル・シャープだろう。ただし、平岳大演ずる主人公と、ウィル演ずるロドニーの出会いは低俗で杜撰。とてもじゃないが、このシリーズには付き合い切れない。私は、エピソード1でリタイアを決めた。

「ザ・クラウン」といい、これといい、日本人を描くとなると、イギリス映画人はいい加減だ。日本文化を知り尽くした英国人はゴマンといるのに。

そうやって辿り着いたのが、エヴァ・デュヴァーネイの「WHEN THEY SEE US」ということになる。



エヴァの作品は、今までのところ、巷の評判はよくても、私には合わなかった。これも、おそらくは気に入るまいと思い、半信半疑で見始めた。

開巻早々、黒人の若いキャスト主体の、生き生きした躍動感に目を奪われた。ハンドヘルドを多用した臨場感ある映像テンポも気持ちよかった。あっという間に1989年ニューヨーク、セントラル・パークで起きた事件に、私は、強く引き寄せられ、巻き込まれ、トータル3時間弱の最初の2話を一気に見てしまった。

黒人への人種差別が生み出す不正を糾弾する映画には「デトロイト」のように、不快な愚作も含め様々あるが、エヴァの作品は、その領域に於ける最高傑作であるばかりでなく、我らが生きる時代の正義の意味を問いかける極上の「社会派エンターテイメント」でもある。

仇役も見事に揃っている。TV画面に映し出される億万長者ドナルド・トランプは、レイプ事件の容疑者である五人の黒人少年(ひとりはヒスパニック)を極刑に処すべきだ、と喚き立てている。

当時、ニューヨーク性暴力犯罪の第一線で活躍し、後にミステリー作家となったリンダ・フェアスタイン検事を、名女優フェリシティ・ハフマンが演じ、その強固な偏見を存分ナチュラルに演じ切っている。

さらには、私が好きなヴェラ・ファーミガが、捜査のやり方に異論をおぼえながらも公判を戦い抜くエリザベス・レダラー検事として、卓越したセリフ回しで君臨する。

エヴァの演出力の凄みは、こういった一流の白人女優たちとは女の連帯で共闘し、黒人俳優たちとは肌の色で共闘できる柔軟で強かな抱擁力だろう。

全体は4話。その構成の巧みさにも私は魅せられた。

最初の2話で裁判まで一気に見せ、第三話は7、8年後に飛んで、少年院に収監され出て来た4人のその後を紹介し、第四話では、ひとり年長の16才であったがゆえに成人として服役したコーリー(ジャレル・ジェローム)の13年を追いかけ真実に到達する。

しかも、コーリーを演ずるジャレルは、他の4人とは違い少年期から青年期までをひとりで演じ切る。その演技力の奥行きはハンパではない。

ジャレル・ジェロームとアサンテス・ブラックを筆頭に、「WHEN THEY SEE US」を彩った若い俳優たちは、これからのハリウッドを作り上げるスーパースター候補生だ。

素晴らしいアンサンブルキャストをまとめあげたエヴァに脱帽!


勘違いや書き間違いが多くていやになるきょうこの頃。ベンジャミン・キャノンじゃなくてキャロンだよ、と言い聞かせていたのに、キャノンにしている。ボケ。

夢の記憶力も目に見えて落ちている。夢の中で、朝起きたらこのシチュエーション憶えておこうと自分に言い聞かせることはあるが、目覚めると、どんな夢だったかすっかり忘れて、憶えておこうと言い聞かせたことだけがぼんやり記憶にある。

無論、夢で翌日撮影分の絵コンテを立てる、なんてことも出来なくなったし。


2020/01/04 (土)

2020年を迎えて気付いたこと。


その壱。おでこにシワがないのに右のこめかみあたりにシワが出来ている。

その弐。目の下たるんは何をどう使っても消えない。

その参。悪い奴ほどプライドが異様に高い。

その参の象徴は、現時点ではカルロス・ゴーンがトランプ大統領を超えた。自身の逃亡劇をメインに据え、日本の司法を悪に見立てて映画を企んでいるらしい。日本の司法には様々な問題点があるが、強欲傲慢権化のゴーンにガタガタ言われたくないというのが、普通の日本人の良識だろう。

良識ある映画屋が乗る企画ではない。海外資本が動いたとして、日本の映画人が協力するだろうか。

縁なき衆生は度し難し、ゆえ、誰かが手を挙げるかもしれない。もしそうなったら、私を含め、反撃の狼煙を上げる日本の映画人が出て来るだろう。検察もしくは日産の視点で、強欲な資産家を巨悪に据える企画を立ち上げる。

不正に対する根源的な怒りを、不正の権化に独占させてはならない。



2020年には「悪い奴ほどよく眠る」が生まれる下地は出来ている。そこには無論、日本の腐り切った政治家も何人か含まれる。こっちは、ゴーン企画よりもむずかしい。日本の映画会社は忖度するし、世界が待ち望む企画ともならない。

そういうモヤモヤを抱えながら、年明け早々に見たのが、AMAZON STUDIO製作の「ザ・レポート」(2019)。

ダイアン・ファインスタイン上院議員役のアネット・ベニングがゴールデングローブの助演女優賞にノミネートされている。彼女は、アカデミー賞でもノミネートされるだろう。

主役はアダム・ドライヴァー。ファインスタインのスタッフで、5年がかりで630万ページのCIA拷問関連の資料を精査し、追求の水先案内人兼斬り込み隊長となる。ONE MAN VS INSTITUTIONの構図が浮かび上がる。アダムの怒りを観客がしっかり受け止める構成にはなっている。が、アダムへのアカデミー賞の投票は「マリッジ・ストーリー」に集まってしまうだろう。



脚本/監督のスコット・F・バーンズは、911の報復に燃え、良識をなくしてしまったCIAとアメリカの政府中枢の一部による「不正」を鋭く追求している。ファインスタインやユダール、マッケインの辛抱強い追求がなければ、オバマでさえ、CIAによる「拷問」を隠蔽したのではないかと感じさせる。

仇役となるCIA中枢は、長官役のテッド・レヴィンを筆頭に、リアルで、上質な演技を見せる。内部告発者となるティム・ブレイク・ネルソンも、バスター・スクラッグスとは対極にあるナチュラルな味わいで、私を魅了してくれた。

ここには、権力者の不正に対する怒りが創作の根底にある。



直後に見たのが「マンハント」の第一シーズン「ユナボマー」(2017)。FBIのプロファイラー、ジェームス・フィッツジェラルド通称フィッツ(サム・ワージントン)を主役に、ユナボマーのテッド・カジンスキー(ポール・ベタニー)を追い詰めて行く実話。主要登場人物はほぼ実名。

CIAの組織の壁を見た直後に、FBIの内部の壁とぶちあたるフィッツの苦悩を共有したことになる。

話は面白いのだが、問題点がいくつかあって、気になった。第一の問題点はフィッツ。ワージントンは経験豊富な役者だが、壁にぶちあたったときお地蔵さんになってしまうのがつまらなかった。体型バランスもよくない。つまり、立ち姿が汚い。

アダムは、憮然の表情に味があったが、ワージントンは単調な憮然。見ているこちらが憮然となる憮然。

これは脚本、演出の問題でもあるけれど、多くは、ワージントンの狭量なキャパによるものと解釈する。

第二の問題点は、1995年と1997年の展開を交互に進めて行く導入部が、かなり混乱している。フィッツの役割と絶望、再生をクロノロジカル・オーダーで綴ればこの問題は解消された筈だが、ダブル主役のポール・ベタニーを早くに売りたかったのだろう。

ただし、どういう構成にしても、フィッツの家庭描写、協力者となる言語学者ナタリー(リン.コリンズ)との恋愛、フィッツ・チームのエージェント、タビー(ケイシャ・キャッスル・ヒューズ)の描写は中途半端だ。クジラの島の少女、ケイシャがぶっとくなってしまったのには驚いた。



と、問題点を列記した上で、絶賛ポイントを書き連ねておく。

ポール・ベタニーのテッド・カジンスキーは本人と見まごうばかり。入魂の演技だ。体重もかなり落として、鬼気迫る。

次に圧倒されたのが、ジャネット・レノ司法長官を演ずるジェーン・リンチ。ジェーンは美形のコメディエンヌだが、レノの立ち居振る舞いを見事に再現している。これぞ司法長官という風格が凄い。

フィッツの上司ドン・アッカーマンを演じるクリス・ノースの、リアルなFBI高官臭にも唸った。「セックス・アンド・ザ・シティ」のミスター・ビッグが、こういう存在感を持っているのか、と改めてアメリカ演技陣の奥行き深さに感じいった次第。

ことごとくフィッツと対立するスタン・コールのジェレミー・ボッブも、憎らしいほど嫌味でうまい。「ゴッドレス」でもクセのある編集マンを好演していた。

「マインドハンター」はFBIプロファイラー創世記の話だったが、「マンハント」はその第二、もしくは第三世代の話。100人のプロファイラーがいれば、100通りの解釈があるというアッカーマンのフラストレーションが面白かった。

ひとりのプロファイラーがきっちりと解決できる事件は、生涯ひとつかふたつだろう。犯人の心象風景を共有出来る性格的な「同一性障害」を所有して、それが憑き物のようにまとわりつくケースは、ざらにあるものではない。


2019/12/31 (火)

2019のシメ。


「1917」を大画面で堪能したあと、年末は、「マインドハンター」のシーズン1と2、「ザ・クラウン」のシーズン1と2でいっぱいいっぱいだった。「パラサイト」の先行上映もケン・ローチの「家族を想うとき」も2020年回しになってしまった。

「マインドハンター」は主役3人ジョナサン・グロフ、ホルト・マッキャラニー、アナ・トーヴのケミストリーが何よりもいい。このトリオにエド・ケンパー役のキャメロン・ブリットンが加わったエピソードは絶品。デーヴィッド・フィンチャーが演出したエピソードも秀逸。

シーズン1はA。シーズン2はアトランタ児童連続殺人事件に5話費やすところでつまらなくなる。捜査が行き詰まると、マッキャラニー演ずるビルの家庭問題、アナ演ずるウェンディの恋に話がふられるわけだが、どちらも通俗引き延ばしの材料でしかない。全く興味が湧かない。

アナは精神分析してなんぼのキャラなのに、あのバカげた恋愛模様は何?相手の役者も魅力がないし、セリフも辛気くさいだけ。グロフ演ずるホールデンも自説を百万遍繰り返すだけで魅力がない。

最悪なのは、カンザス州パークシティ在住と思しき犯罪者予備軍の男のプロローグ集。シーズン1のケツでどこかに落とし込むのかと思いきや、シーズン2のプロローグでも継続して、結局未解決でシーズン3に持ち越し。私はシーズン2でリタイア。キャメロンが出る時だけ見るかも。



「ザ・クラウン」のシーズン1は2016年開始。評判だけは聞いていたが、単純に、私は出遅れてしまい、見る機会を失した。今年のシーズン3からオリヴィア・コールマンがエリザベス女王を受け継ぐと聞いて、見なけりゃいけないなと思いつつ、それでも、先送りをしていた。オリヴィアに辿り着くまでの2シーズン10話を見るのがなんとも重い。

12月中旬になって、意を決しシーズン1の1を見てみたら、ピーター・モーガンの脚本、スティーヴン・ダルドリーの演出、撮影、美術何もかも素晴らしい。キャストでは「チェルノブイリ」の格調高き演技で改めて実力を認めざるをえなかったジャレド・ハリスのキング・ジョージが秀逸。コリン・ファースのキング・ジョージよりも遥かに風格がある。

チャーチル役のジョン・リスゴーも、体格こそご本尊よりも5、6インチ大きめだが、眼光の鋭さと茶目っ気のコンビネーションが抜群で、ゲイリー・オールドマンやブライアン・コックスのチャーチルよりもいい。

若き日のエリザベスを演ずるクレア・フォイは、この成功で「蜘蛛の巣を払う女」の主役や「ファースト・マン」のニール・アームストロングの妻役を勝ち取ったわけで、その2本を見て、彼女の演技力に魅せられていた私としては、納得の主演ぶりでもあった。



もともと、私はピーター・モーガンが書いた「クィーン」、「フロスト/ニクソン」、「ラッシュ」が大好きで、当然ながら「クィーン」の延長上にある「ザ・クラウン」は、見たら気に入るとの確信があった。

ただ、モーガンが成功している脚本は、3本とも1対1の対決芝居が生命線であって「ザ・クラウン」ではそれが、明確には見えなかった。おそらくは、エリザベス対フィリップの夫婦対決が作品の核にあるのだろうと思って見始めたのだが、その部分では完璧に裏切られた。フィリップ役のマット・スミスに1オンスの興味も湧かなかったのだ。

私の記憶に残るエディンバラ公フィリップは、長身で気品ある立ち姿の人だった。マット・スミスはそこそこに背が高いが、気品からは縁が遠い立ち姿なのである。彼のO脚は、下層階級出身のサッカー選手のように見える。顎を引いてねめあげる眼差は、20代のローレン・バコールがやればセクシーだが、セックスアピールを意識したマット・スミスがやると、気色が悪いだけだ。

おそらくは、ゲイのダルドリーがそんなスミスを気に入ってしまったのだろう。

私は、一目見て、マット・スミスのフィリップに嫌悪感を覚え、シーズン2が終わるまでこの嫌悪感を払拭できなかった。



そのフィリップに代わって、私の心と、そして多くの視聴者の心に突き刺さったのは、王女マーガレットを演じたヴァネッサ・カービーだ。

ヴァネッサに初めて注目したのは「ミッション・インポッシブル/フォールアウト」のザ・ホワイト・ウィドーだった。作品には惹かれなかったが、彼女のセクシーな悪女ぶりは、長く心に残った。これも、クレアの「蜘蛛の巣」と同様、「ザ・クラウン」あっての抜擢だった。

「ザ・クラウン」シーズン1の最高の見せ場は、エリザベスとマーガレットの姉妹対決のすべてだ。シーズン2になると、マーガレットの眼差とファッションが魅力の一番手に躍り出る。マシュー・グッド演ずるトニー・アームストロング・ジョーンズとマーガレットのエピソードは、すべて官能的でファッショナブルだ。殊にエピソード「Beryl」。

私は、地味なエリザベスの苦悩よりも、派手なマーガレットの躍動に目を奪われた。ヴァネッサは「王冠の宝石」だ。

Vanessa Kirby is a prominent jewel of the Crown!

シーズン1と2は合わせて150億円の製作費だという。まさに豪華絢爛の王室絵巻となっている。同時に、深遠なる人間ドラマも描かれる。私がもっとも感動したのは、チャーチルと画家グレアム・サザーランドのエピソードだ。この2人の「対決」は見事だ。サザーランドを演ずるスティーヴン・ディレーンの、偉大なアーティストぶりは鬼気迫るものがある。

トップ10を選ぶとなると、「マインド・ハンター」シーズン1も、「ザ・クラウン」シーズン1も、上位には食い込めない。



今年のトップ10はシリーズとフィーチャー(1本の作品)に分けた。尺をベースにした重量級と軽量級に分けなければ収拾がつかない。フィーチャーは劇場で見た「映画」ばかりでなく、DVDやNETで見た「映画」も含まれる。

いずれにせよ、2019年は我が映画観賞歴に於いて、前代未聞の上質シリーズがしのぎを削る記念碑的な一年になった。NETFLIX、HBOをフロント・ランナーとして、名作傑作が次々とホームシアターを彩っている。この傾向は年々強くなる。映画館でネット映画のプレミア上映を見る時代になりつつある。

映画館で映像を見る習慣を人類が維持出来るならば、発進元はどんな形態でも構わない。

それにしても、日本の映像文化は劣化するばかり。若い映画人は、私がここに挙げる傑作群をどれだけ見ているのだろう。

TOP10 SERIES
1「チェルノブイリ」A+
2「ニュースルーム 123」A+
3「UNBELIEVABLEたった一つの真実」A+
4「ESCAPE AT DANNEMORA」A+
5「ビッグ・リトル・ライズ シーズン1」A+
6「ザ・リトル・ドラマー・ガール」A
7「OLIVE KITTERIDGE」A
8「ザ・クラウン シーズン1」A
9「ナイト・マネージャー」A
10「ジェネレーション・キル」A

補欠タイ
「マインドハンター シーズン1」A
「マクマフィア」A

TOP10 FEATURES
1「ROMA」A+
2「存在のない子供たち」A+
3「1917」A+
4「2人のローマ教皇」A+
5「マリッジ・ストーリー」A
6「バスターのバラード」A
7「COLD WARあの歌、2つの心」A
8「女王陛下のお気に入り」A
9「アリー/スター誕生」A
10「トリプル・フロンティア」A
10「ジョーカー」A
10「キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー」A

紅白は見ずに雑煮を仕込み「ザ・クラウン」シーズン3を見よう。オリヴィア・コールマンの名演に喝采を送ろう。では、「燃えよ剣」の、よいお年を!


 a-Nikki 1.02