2022/11/27 (日)

映画監督が死ぬということ。


ワールド・カップ日本対コスタリカ戦のキックオフ直前にカミさんから連絡が入り、崔洋一監督が膀胱がんで亡くなったことを知った。2週間前には大森一樹監督が逝き、今度は崔チャン。同世代の監督仲間が次々とキャリアを終えている。大森監督は3才下の70才だった。崔チャンは私と同い年。誕生日は3日違いだ。

崔洋一と出会ったのは、私が「さらば映画の友よ」(1979)で監督デビューした時だ。現場経験のない「シロウト」監督のデビューを危ぶんで、プロデューサーが付けてくれたチーフ助監督が、崔チャンだった。経験豊かでタフな頼もしいチーフであり相談役だった。あらゆる面でサポートしてくれた。以来、顔を合わせれば、お互いの健闘を称える関係が続いていた。

私は、映画監督が死ぬたびにその臨終の「無念」に思いを馳せる。何才で逝こうと同じだ。映画監督は生きている限り現役なのだから、いつもどこかで撮りたい映画のことを考えている。「どこか」というのは体のどこかでもあり、空間のどこかでもある。黒澤明監督の遺体と対面した時も、深作欣二監督の遺体と対面した時も、それは胸に響いた。例外は、スイスで自殺幇助による死を選んだジャン・リュック・ゴダールぐらいだろう。

生き残った映画監督の掟は、斃れたものの「無念」をエールとして受け止め、作り続けること。私は、ハワード・ホークスの監督作品数を超えるまで鬼元気に頑張るつもりでいる。

慎んで哀悼の意を表し合掌。


2022/11/27 (日)

映画監督が死ぬということ。


ワールド・カップ日本対コスタリカ戦のキックオフ直前にカミさんから連絡が入り、崔洋一監督が膀胱がんで亡くなったことを知った。2週間前には大森一樹監督が逝き、今度は崔チャン。同世代の監督仲間が次々とキャリアを終えている。大森監督は3才下の70才だった。崔チャンは私と同い年。誕生日は3日違いだ。

崔洋一と出会ったのは、私が「さらば映画の友よ」(1979)で監督デビューした時だ。現場経験のない「シロウト」監督のデビューを危ぶんで、プロデューサーが付けてくれたチーフ助監督が、崔チャンだった。経験豊かでタフな頼もしいチーフであり相談役だった。あらゆる面でサポートしてくれた。以来、顔を合わせれば、お互いの健闘を称える関係が続いていた。

私は、映画監督が死ぬたびにその臨終の「無念」に思いを馳せる。何才で逝こうと同じだ。映画監督は生きている限り現役なのだから、いつもどこかで撮りたい映画のことを考えている。「どこか」というのは体のどこかでもあり、空間のどこかでもある。黒澤明監督の遺体と対面した時も、深作欣二監督の遺体と対面した時も、それは胸に響いた。例外は、スイスで自殺幇助による死を選んだジャン・リュック・ゴダールぐらいだろう。

生き残った映画監督の掟は、斃れたものの「無念」をエールとして受け止め、作り続けること。私は、ハワード・ホークスの監督作品数を超えるまで鬼元気に頑張るつもりでいる。

慎んで哀悼の意を表し合掌。


2022/11/23 (水)

ピーキー・ブラインダース・サーガ PART 2。


この稿を書き進めている最中に、2022 WORLD CUPイングランドの初戦を見た。絶妙の連係プレイに大興奮だった。5分に一回、うまっ!すげっ!と叫んでいた。ヴェテラン・スーパー・スター、ハリー・ケインの周りで華麗にプレイするベリンガム、サカ、ラッシュフォードらの若手スーパースター。このイングランドは優勝候補の筆頭ではないか。「ピーキー・ブラインダース」の興奮をそのまま、私はサウンスゲート・イングランドに繋げようと思う。日本代表が散った後は、イングランド一本押し!


私の見るところ、2013年から2022年まで6シーズンに渡って人気を博した「ピーキー・ブラインダース」のベスト・シーズンは、コルム・マッカーシーが全6話を演出したシーズン2とアンソニー・バーンが演出したシーズン5である。

単一エピソードの最高峰は、トム・ハーディが登場するシーズン2の第2エピソードであるとも断言出来る。

このエピソードでは、トミーとアーサーの絶妙な演技合戦もある。連れ去られた子どもたちへの想いを演じ切るポリーの名演もある。そしてトミーとポリーの連帯を複雑にするマイケル・グレイ(フィン・コール)がファミリーに加わる。エイダもどんどん魅力的な存在に成長していく。トミーの新しいラヴ・インタレストのメイ(シャーロット・グレイ)も登場する。アーサーの伴侶である信心深いリンダ(ケイト・フィリップス)もファミリーの一員としてフィットしている。

キャンベルと同口径のワル、ダービー・サビーニ(ノア・テイラー)の「こいつを早いとこ片付けてくれよ、トミー」と懇願したくなる悪党ぶりもいい(殊に、2の4でのアルフィ対サビーニの火花散る会話が素晴らしい)。

グレースの再登場も嬉しい。が、トミーと彼女の再会の会話は短く通俗で、やや残念感が漂う。ちなみに、シャーロット・グレイはトム・ハーディの実生活のパートナーでもある演技派女優。


シーズン2の立役者コルム・マッカーシー監督はセンスに溢れた才人で、撮影のサイモン・デニスとのチームワークもよく、映像トーンはますます洗練されている。役者たちの演技の引き出し方、動かし方も文句のつけようがない。ただし、最終話2の6ではまたしても消化不良に陥る。

ダービーでの対決がテーマなのだが、レースは描かれない。そう、競走馬が走るシーンは一切ない。観客席、厩舎といったレース・トラック以外の場所での人の動きと暗殺行が描かれるだけだ。著しく臨場感に欠ける。製作費が足りなかったのだろうが、それにしても、である。無論、トミーが所有するレース・ホース、GRACE’S SECRETが何着だったのかもわからない。勝てない、と言われていたが、中途半端なのはレースだけではない。

キャンベルの始末の付け方はポリーに花を持たせているだけでスリルもサスペンスもない。カタルシスもない。ここはトミーがきっちり始末すべきなのだが、「色魔」キャンベルを強調するために投入したつまらない伏線の回収でポリーに「尊厳回復」の殺しを任せてしまう。ならば、ノア・テイラーが憎々しく演ずるサビーニへの制裁をトミーに託せばいいのだが、サビーニはサラリと退場してしまい決着はつかない。これらが最終話消化不良の原因だ。

ダービー・エピソードで唯一感心したのは元売春婦現トミー秘書のリジー(ナターシャ・オキーフ)が、暗殺の標的軍人を誘惑するくだり。組んだ足の靴底にチョークで「お値段」が書いてある。1920年代の娼婦道ここにあり!

とはいえ、シーズン2の総合スコアはシーズン5と並ぶA。


スティーヴン・ナイトは実在した仇役はサビーニにしろオズワルド・モスビーにしろトミーが鉄槌を下すには至らない。アンタッチャブルなのだ。そのくせ、実在した著名女性たち、後々登場する労働運動のリーダーだったジェシー・イーデン(チャーリー・マーフィ)、英国極右のカリスマ・レディ、ダイアナ・ミットフォード(アンバー・アンダーソン)はトミーとの情事に誘う。そのすみわけが私には理解できない。

JESSIE EDENに関して一言付け加えておくと、日本語ウィキペディアではイーデンと表記すべきところを「エデン」にしており、日本語字幕もこれに準じているようだ。明らかな間違いである。イギリスの首相ANTHONY EDENは「アンソニー・イーデン」という表記が定着しているのに、である。政府首脳はイーデンで、反政府活動家がエデン?バカバカしい「差別」だ。


シーズン3は全6話をティム・ミーランツが演出している。後々ピーキー・ブラインダースのトレードマークとなる両腕だらりのゴリラ系無頼漢ウォークは、3の2から明確になって来る。カリスマ・キャラを演じ切るキリアン・マーフィが工夫したのだろう。

シーズン1のジョージ・スティール、シーズン2のサイモン・デニスはスグレモノの撮影監督だった。シーズン3は撮影でも物語の流れでもBクラスだ。仇役のパディ・コンシダインも良くない。亡命ロシア貴族の絡みも面白くない。唯一のハイライトは、グレースの退場。シーズン5、6から見始めたゆえ、グレースが3の2で消えることはわかってはいたのだが、この訣別には涙した。

いずれにせよ、私にとってシーズン3の不発は、出だしが全てだった。3の1は「ゴッドファーザー」へのオマージュであるかのようにトミーとグレースの結婚式から始まる。ここでシーズンの暗雲を担う人々やエピソードの萌芽が紹介されていくのだが、脚本も演出も力不足。おまけに撮影も凡庸。その思いがシーズンを通じてつきまとう。よかったのはタチアナを演ずるオランダ女優ガイテ・ヤンセンの脱ぎっぷりだけ。シーズン3の総合スコアはB +。


シーズン4は全6話をデーヴィッド・キャフリーが監督している。復讐に燃えるルカ・シャングレッタ(エイドリアン・ブロディ)とトミー・シェルビー(キリアン・マーフィ)の最初の接近遭遇におけるやりとりが白眉。

しかし、エピソードが進むに連れ、「アメリカン・マフィアとの全面戦争」といったセールスポイントが弱体化する。

ファミリーには魅力的な「処理屋」が新加入する。ジプシーのアベラマ・ゴールド(エイダン・ギレン)とボクサーの息子ボニー(ジャック・ローワン)だ。アベラマは後にポリーと恋に落ち、ボニーはシーズン5でショッキングな死に様を見せることになる。

この殺戮を担うジミー・マッカヴァーンを演じているのはブライアン・グリーソン。名優ブレンダン・グリーソンの息子でドーナルの兄ちゃんならではの絶賛悪党ぶりなのだが、アベラマの復讐は叶うことなく、ジミーの出番はシーズン5で終わる。スケジュール調整がつかなかったことは明らかだ。

以前触れたシーズン5はアーニャ・テイラー・ジョイ中心で他のキャストへはあまり言及しなかったが、このシーズンにはアーニャ以外にも近未来のスーパースター候補が二人、出演している。2023年配信の「SHOGUN」で主役ジョン・ブラックソーンを演ずるコスモ・ジャーヴィスと「あの夜、マイアミで」で私がベタ惚れしたキングスリー・ベン・アディアだ。キングスリーはボブ・マーリーの伝記映画で主演に抜擢されている。


トミー対マフィア集団との銃撃戦はマンチェスターの歴史的建造物で展開してグラフィックな見せ場とはなっているが、ルカの襲撃計画もトミーの迎撃プランも杜撰で、盛り上がらない。おまけに、ブロディはマシンガンの扱いが下手で興醒めしてしまう。

その襲撃失敗に懲りて、ルカはトミーと薄氷の業務提携をしているロンドン・ギャング、アルフィー・ソロモンズ(トム・ハーディ)に接触する。このハーディとブロディの芝居はシリーズの大きな見せ場だ。実に愉快。ただし、日本語字幕を読んでいてはこの二人の名優の、ニュアンスの絶妙芝居を見過ごしてしまうかもしれない。吹替版など問題外だ。

そうやってビジネスで釣られたアルフィーがミニ裏切りに踏み込む。ボクシングの試合に自軍のセコンドとして、ルカの殺し屋二人を参加させることに同意するわけだ。この展開はいい。問題は、そのツメ。これがダメ。

セコンドに化けた殺し屋たちがどういうプランでトミーを殺そうとしているのか見えて来ないまま試合が進んで行く。ビルドアップのドライヴが効いていない。結局は、アーサー(ポール・アンダーソン)に怪しまれて、試合の最中、控え室でアーサーとの死闘になる。

ボクシング・マッチの収穫はリングサイドのピーキー・ブラインダース・レディースの存在感と群衆シーンの臨場感に尽きる。

試合前のアルフィーとトミーの会話も、それなりに味がある。


ただダークサイドのハイライトとして提示される「アーサーの死」は、通俗的な観客サーヴィス・レベルでいただけない。そもそもルカ一派のテーマがアーサーではなく、トミーの首を獲ることなのだから、葬式までして「アーサーの死」を吹聴する「トミーの策略」が空回りしている。視聴者、観客をミスリードしたいだけの安っぽいサプライズだ。

終盤のアルフィーとトミーの決斗は唐突でもあるし、ゆくゆくはアルフィーが元気に復活し、アーサーに次ぐ「死んだはずだよ、お富さん」になるわけでこれまた低俗。

さらにはそこから3ヶ月の流れで強引に終息させる展開が駆け足で味気ない。要は、シーズン6と同様、ビルドアップに欠けた最終話の稚拙さが顕著なシーズン4でありました。シリーズ全体評価:A –

という流れで、私は遅ればせながら「ピーキー・ブラインダース」をなんとか制覇した。


このシリーズの最大の功績は、キリアン・マーフィ、ヘレン・マクローリー、ポール・アンダーソンの3人を5シーズン確保できたことだ。

私は当初、キリアンが主役の英国版ゴッドファーザー・サーガには魅力を感じなかった。キリアンでは線が細いと思った。彼は小柄だし、足も短い。それが、シリーズを見て一転した。キリアンの魅力の虜になった。彼が主役を演ずるクリストファ・ノーランの「オッペンハイマー」が待ち遠しくてたまらないほどだ。

ポール・アンダーソンも、初めて見た時はオーヴァーな力みトークが気になった。腰を据えて接すると、それが味わいとして感じられ、時々、彼の口調をマネてHMMM PEAKY FUCKIN’ BLINDERSなどと吠えたりもする。素晴らしい役者だ。私がウェスタンを撮ることになったら、ポールをアイルランド移民の西部男役で主演に迎えたい。

そして、ヘレン・マクローリー。彼女の演技の見せ場には何度か圧倒された。その早すぎる死を知ってのち、こうやってシーズン1から4を見てみると、ポリー・グレイの所作全てが感動的で涙を誘うのだった。英国映画演劇界の壮大な喪失だ。

一世を風靡した「ピーキー・ブラインダース」の武勇伝は、女優ヘレン・マクローリーの死と共に終わったと痛感している。


2022/11/23 (水)

ピーキー・ブラインダース・サーガ PART 2。


この稿を書き進めている最中に、2022 WORLD CUPイングランドの初戦を見た。絶妙の連係プレイに大興奮だった。5分に一回、うまっ!すげっ!と叫んでいた。ヴェテラン・スーパー・スター、ハリー・ケインの周りで華麗にプレイするベリンガム、サカ、ラッシュフォードらの若手スーパースター。このイングランドは優勝候補の筆頭ではないか。「ピーキー・ブラインダース」の興奮をそのまま、私はサウンスゲート・イングランドに繋げようと思う。日本代表が散った後は、イングランド一本押し!


私の見るところ、2013年から2022年まで6シーズンに渡って人気を博した「ピーキー・ブラインダース」のベスト・シーズンは、コルム・マッカーシーが全6話を演出したシーズン2とアンソニー・バーンが演出したシーズン5である。

単一エピソードの最高峰は、トム・ハーディが登場するシーズン2の第2エピソードであるとも断言出来る。

このエピソードでは、トミーとアーサーの絶妙な演技合戦もある。連れ去られた子どもたちへの想いを演じ切るポリーの名演もある。そしてトミーとポリーの連帯を複雑にするマイケル・グレイ(フィン・コール)がファミリーに加わる。エイダもどんどん魅力的な存在に成長していく。トミーの新しいラヴ・インタレストのメイ(シャーロット・グレイ)も登場する。アーサーの伴侶である信心深いリンダ(ケイト・フィリップス)もファミリーの一員としてフィットしている。

キャンベルと同口径のワル、ダービー・サビーニ(ノア・テイラー)の「こいつを早いとこ片付けてくれよ、トミー」と懇願したくなる悪党ぶりもいい(殊に、2の4でのアルフィ対サビーニの火花散る会話が素晴らしい)。

グレースの再登場も嬉しい。が、トミーと彼女の再会の会話は短く通俗で、やや残念感が漂う。ちなみに、シャーロット・グレイはトム・ハーディの実生活のパートナーでもある演技派女優。


シーズン2の立役者コルム・マッカーシー監督はセンスに溢れた才人で、撮影のサイモン・デニスとのチームワークもよく、映像トーンはますます洗練されている。役者たちの演技の引き出し方、動かし方も文句のつけようがない。ただし、最終話2の6ではまたしても消化不良に陥る。

ダービーでの対決がテーマなのだが、レースは描かれない。そう、競走馬が走るシーンは一切ない。観客席、厩舎といったレース・トラック以外の場所での人の動きと暗殺行が描かれるだけだ。著しく臨場感に欠ける。製作費が足りなかったのだろうが、それにしても、である。無論、トミーが所有するレース・ホース、GRACE’S SECRETが何着だったのかもわからない。勝てない、と言われていたが、中途半端なのはレースだけではない。

キャンベルの始末の付け方はポリーに花を持たせているだけでスリルもサスペンスもない。カタルシスもない。ここはトミーがきっちり始末すべきなのだが、「色魔」キャンベルを強調するために投入したつまらない伏線の回収でポリーに「尊厳回復」の殺しを任せてしまう。ならば、ノア・テイラーが憎々しく演ずるサビーニへの制裁をトミーに託せばいいのだが、サビーニはサラリと退場してしまい決着はつかない。これらが最終話消化不良の原因だ。

ダービー・エピソードで唯一感心したのは元売春婦現トミー秘書のリジー(ナターシャ・オキーフ)が、暗殺の標的軍人を誘惑するくだり。組んだ足の靴底にチョークで「お値段」が書いてある。1920年代の娼婦道ここにあり!

とはいえ、シーズン2の総合スコアはシーズン5と並ぶA。


スティーヴン・ナイトは実在した仇役はサビーニにしろオズワルド・モスビーにしろトミーが鉄槌を下すには至らない。アンタッチャブルなのだ。そのくせ、実在した著名女性たち、後々登場する労働運動のリーダーだったジェシー・イーデン(チャーリー・マーフィ)、英国極右のカリスマ・レディ、ダイアナ・ミットフォード(アンバー・アンダーソン)はトミーとの情事に誘う。そのすみわけが私には理解できない。

JESSIE EDENに関して一言付け加えておくと、日本語ウィキペディアではイーデンと表記すべきところを「エデン」にしており、日本語字幕もこれに準じているようだ。明らかな間違いである。イギリスの首相ANTHONY EDENは「アンソニー・イーデン」という表記が定着しているのに、である。政府首脳はイーデンで、反政府活動家がエデン?バカバカしい「差別」だ。


シーズン3は全6話をティム・ミーランツが演出している。後々ピーキー・ブラインダースのトレードマークとなる両腕だらりのゴリラ系無頼漢ウォークは、3の2から明確になって来る。カリスマ・キャラを演じ切るキリアン・マーフィが工夫したのだろう。

シーズン1のジョージ・スティール、シーズン2のサイモン・デニスはスグレモノの撮影監督だった。シーズン3は撮影でも物語の流れでもBクラスだ。仇役のパディ・コンシダインも良くない。亡命ロシア貴族の絡みも面白くない。唯一のハイライトは、グレースの退場。シーズン5、6から見始めたゆえ、グレースが3の2で消えることはわかってはいたのだが、この訣別には涙した。

いずれにせよ、私にとってシーズン3の不発は、出だしが全てだった。3の1は「ゴッドファーザー」へのオマージュであるかのようにトミーとグレースの結婚式から始まる。ここでシーズンの暗雲を担う人々やエピソードの萌芽が紹介されていくのだが、脚本も演出も力不足。おまけに撮影も凡庸。その思いがシーズンを通じてつきまとう。よかったのはタチアナを演ずるオランダ女優ガイテ・ヤンセンの脱ぎっぷりだけ。シーズン3の総合スコアはB +。


シーズン4は全6話をデーヴィッド・キャフリーが監督している。復讐に燃えるルカ・シャングレッタ(エイドリアン・ブロディ)とトミー・シェルビー(キリアン・マーフィ)の最初の接近遭遇におけるやりとりが白眉。

しかし、エピソードが進むに連れ、「アメリカン・マフィアとの全面戦争」といったセールスポイントが弱体化する。

ファミリーには魅力的な「処理屋」が新加入する。ジプシーのアベラマ・ゴールド(エイダン・ギレン)とボクサーの息子ボニー(ジャック・ローワン)だ。アベラマは後にポリーと恋に落ち、ボニーはシーズン5でショッキングな死に様を見せることになる。

この殺戮を担うジミー・マッカヴァーンを演じているのはブライアン・グリーソン。名優ブレンダン・グリーソンの息子でドーナルの兄ちゃんならではの絶賛悪党ぶりなのだが、アベラマの復讐は叶うことなく、ジミーの出番はシーズン5で終わる。スケジュール調整がつかなかったことは明らかだ。

以前触れたシーズン5はアーニャ・テイラー・ジョイ中心で他のキャストへはあまり言及しなかったが、このシーズンにはアーニャ以外にも近未来のスーパースター候補が二人、出演している。2023年配信の「SHOGUN」で主役ジョン・ブラックソーンを演ずるコスモ・ジャーヴィスと「あの夜、マイアミで」で私がベタ惚れしたキングスリー・ベン・アディアだ。キングスリーはボブ・マーリーの伝記映画で主演に抜擢されている。


トミー対マフィア集団との銃撃戦はマンチェスターの歴史的建造物で展開してグラフィックな見せ場とはなっているが、ルカの襲撃計画もトミーの迎撃プランも杜撰で、盛り上がらない。おまけに、ブロディはマシンガンの扱いが下手で興醒めしてしまう。

その襲撃失敗に懲りて、ルカはトミーと薄氷の業務提携をしているロンドン・ギャング、アルフィー・ソロモンズ(トム・ハーディ)に接触する。このハーディとブロディの芝居はシリーズの大きな見せ場だ。実に愉快。ただし、日本語字幕を読んでいてはこの二人の名優の、ニュアンスの絶妙芝居を見過ごしてしまうかもしれない。吹替版など問題外だ。

そうやってビジネスで釣られたアルフィーがミニ裏切りに踏み込む。ボクシングの試合に自軍のセコンドとして、ルカの殺し屋二人を参加させることに同意するわけだ。この展開はいい。問題は、そのツメ。これがダメ。

セコンドに化けた殺し屋たちがどういうプランでトミーを殺そうとしているのか見えて来ないまま試合が進んで行く。ビルドアップのドライヴが効いていない。結局は、アーサー(ポール・アンダーソン)に怪しまれて、試合の最中、控え室でアーサーとの死闘になる。

ボクシング・マッチの収穫はリングサイドのピーキー・ブラインダース・レディースの存在感と群衆シーンの臨場感に尽きる。

試合前のアルフィーとトミーの会話も、それなりに味がある。


ただダークサイドのハイライトとして提示される「アーサーの死」は、通俗的な観客サーヴィス・レベルでいただけない。そもそもルカ一派のテーマがアーサーではなく、トミーの首を獲ることなのだから、葬式までして「アーサーの死」を吹聴する「トミーの策略」が空回りしている。視聴者、観客をミスリードしたいだけの安っぽいサプライズだ。

終盤のアルフィーとトミーの決斗は唐突でもあるし、ゆくゆくはアルフィーが元気に復活し、アーサーに次ぐ「死んだはずだよ、お富さん」になるわけでこれまた低俗。

さらにはそこから3ヶ月の流れで強引に終息させる展開が駆け足で味気ない。要は、シーズン6と同様、ビルドアップに欠けた最終話の稚拙さが顕著なシーズン4でありました。シリーズ全体評価:A –

という流れで、私は遅ればせながら「ピーキー・ブラインダース」をなんとか制覇した。


このシリーズの最大の功績は、キリアン・マーフィ、ヘレン・マクローリー、ポール・アンダーソンの3人を5シーズン確保できたことだ。

私は当初、キリアンが主役の英国版ゴッドファーザー・サーガには魅力を感じなかった。キリアンでは線が細いと思った。彼は小柄だし、足も短い。それが、シリーズを見て一転した。キリアンの魅力の虜になった。彼が主役を演ずるクリストファ・ノーランの「オッペンハイマー」が待ち遠しくてたまらないほどだ。

ポール・アンダーソンも、初めて見た時はオーヴァーな力みトークが気になった。腰を据えて接すると、それが味わいとして感じられ、時々、彼の口調をマネてHMMM PEAKY FUCKIN’ BLINDERSなどと吠えたりもする。素晴らしい役者だ。私がウェスタンを撮ることになったら、ポールをアイルランド移民の西部男役で主演に迎えたい。

そして、ヘレン・マクローリー。彼女の演技の見せ場には何度か圧倒された。その早すぎる死を知ってのち、こうやってシーズン1から4を見てみると、ポリー・グレイの所作全てが感動的で涙を誘うのだった。英国映画演劇界の壮大な喪失だ。

一世を風靡した「ピーキー・ブラインダース」の武勇伝は、女優ヘレン・マクローリーの死と共に終わったと痛感している。


2022/11/22 (火)

ピーキー・ブラインダース・サーガ。PART 1


シーズン5、6を見たせいで「PEAKY BLINDERS」のそこに至る展開が気になって仕事(脚本書き)に支障が生じ始めた。それでもシーズン1から見直すのを避けて、取り敢えずシーズン4を制覇することにした。シーズン4を見終わると、もっと落ち着かなくなった。キリアン・マーフィ、ヘレン・マクローリー、ポール・アンダーソンのトロイカ体制が心にガンガン響いてくるのだ。そこに、トム・ハーディのヘブライ語の音色を大事にした絶妙の節回しが加わって史上最強の弦楽四重奏を聴いている心地になる。この四人に酔いまくっている。

時を同じくして、2018年頃に購入し本棚の奥に眠っていたDVD(BBC販売の4シーズン・ボックス・セット)を見つけてしまった。無論、特典映像も付いている。ことここに至って覚悟を決め、1週間かけてシーズン1、2、3をDVDで見ることにした。シーズン5、6、4をその順番でNetflixで見た後に、である。なんとも摩訶不思議な展開だ。

こういうところは、その昔、沼津の映画小僧であった頃に、2本立て3本立て映画を途中から見て、ちゃんと繋がる所まであれこれ想像しながら観賞した習慣が役に立つ。かつて映画は始めから見るものではなく、行ける時間から見始めるものだった。


特典映像を見てわかったのは、クリエイターのスティーヴン・ナイトの両親がシリーズの舞台、英国中部バーミンガムのスモール・ヒースで生まれ育ち、小さい頃から実在のギャング団ピーキー・ブラインダースを知っていたという背景だ。

さらには主人公トミーの伯母ポリーには父方の叔母(ひょっとしたら伯母。父親の姉だか妹だか不明なので)のキャラが投影されているという。

ナイトにとって、これは家族の歴史ドラマであり、故郷に錦を飾る作品でもあるということがわかる。そこがこの作品の愛情深きコアで、私も、そういった根っこ部分に魅せられている。ファミリーの幹部会議で女衆が男衆と同格であるということにも心を揺さぶられる。

1919年から始まる一族団結のディテールは強固であり、そこがジプシーの血を引く主役グループの魅力の源泉でもある。

まだこのシリーズに未到達の人のために順を追って話そう。


シーズン1でシェルビー一族の核に君臨するのは、第一次大戦の地獄の最前線から生還したトミー(キリアン・マーフィ)と兄アーサー(ポール・アンダーソン)、弟ジョン(ジョー・コール)、妹エイダ(ソフィー・ランドル)、そして、ジプシーのライフスタイルを踏襲する伯母ポリー・グレイ(ヘレン・マクローリー)の5人だ。

トミーとアーサーは塹壕戦のトラウマを引きずっており、トミーはアヘンに逃避し、アーサーはコントロール不能の暴力に走る傾向がある。

主要脇役はこの5人の誰かと関連づけられて登場する。

後々トミーのヨメとなって数々の見せ場をこなすリジー・スターク(ナターシャ・オキーフ)は1の#4でジョンが熱を上げている娼婦として登場。実はトミーの性欲処理係でもあったというので、トミーが責任を持ってジョンとの仲を裂く設定。

その一方でトミーは敵対関係にあるジプシー、リー一族との政略結婚を画策する。リー家の末娘エスメ(エイミー・フィオン・エドワーズ)をジョンにめとらせ抗争を集結させる。この一連の流れは、ジョンを演ずるジョー・コールの個性を最大限に引き出し、結果として、ジョンは短いが(シーズン4の導入部で退場)幸福な結婚生活を送り、エスメもファミリーの重要メンバーとなる。

他にはトミーの親族としてチャーリー・ストロング(ネッド・デネヒー)、カーリー(イアン・ペック)、ジェレマイア(ベンジャミン・ゼファニア)、幼いフィン・シェルビー(アルフィ・エヴァンス・ミルズ)が配置されている。チャーリーとカーリーはシリーズ全体を通じて、大きな活躍をするわけではないが、組織のブルーカラー労働部門を管轄し、トミーへの変わらぬ忠誠心を見せる。この二人はいぶし銀の演技巧者でもある。


シーズン1のあだ花的主要脇役としては、トミーの戦友でエイダと結婚するコミュニストの闘士フレディー・ソーン(イドー・ゴールドバーグ)がいる。彼はファミリーの「醜いアヒルの子」的役割だが気の行かない描写に終始する不発キャラでもある。

混乱の極みは終盤のライヴァル・ギャングスター、ビリー・キンバー(チャーリー・クリード・マイルズ)との対決に強引に参加させた点。この対決自体が笹川の繁蔵対飯岡助五郎風の安っぽい「大喧嘩(おおでいり)」で、人数が多い割に数発の銃弾でカタがついてしまう。

敵方の死者はキンバーひとり。味方の死者は、トミーの戦友でトミー以上のPTSDに悩むダニー(サミュエル・エドワード・クック)だけ。このキャラの使い方も稚拙だし対決演出も愚直でお寒い。フレディーはこの「でいり」では生き残るが2年後設定のシーズン2は病死したフレディーの葬儀から始まる。これはおそらく、「スノーピアサー」などのレギュラーでもあるイドーのスケジュール調整ができなかったためだろう。

シーズン1のプロット展開は、シーズン6で断じたごとく、終盤でロジック欠如の無茶振りが目立つ。スティーヴン・ナイトの、ダイアローグに強くプロット構成に難がある習性はシーズン1から明らかだ。というか、シーズン1の最終章は全シーズンを通じて仰天最悪の出来となっている。


「PEAKY BLINDERS」シリーズは、その生い立ちから高貴・秀逸と低俗・拙劣のタペストリーで編まれている。

PEAKYとは「ツバの広い帽子」のことで、BLINDERSは20世紀初頭バーミンガムのスラングで「洒落者」。それゆえ、タイトルの心は、作品ルックそのままの「ハンチングの男伊達」ということになる。史実のピーキー・ブラインダースはハンチングにカミソリを仕込んでいたとかで、シーズン1ではその点が強調されるがシーズン2以降ではカミソリの出番はない。

シーズン1は前半3話がオットー・バサースト監督作。映像感覚も脚本も一流。高貴・秀逸の範疇だ。

後半3話は「イントゥ・ザ・スカイ」(2019)などのトム・ハーパー監督作でクオリティは一気に落ちる。低俗・拙劣。脚本も、ボンクラレヴェル。1の4はナイトとステファン・ラッセルの共作、1の5はナイトとトビー・フィンリーの共作となっている。共作といっても、実態は、別シリーズ立ち上げで忙しかったナイトが、ラッセル、フィンリーに書かせ、最終的に手を入れた程度のことだろう。

1の5ではアーサー・シニア(トミー・フラナガン)を登場させ、ファザコンの長男アーサーと、父親を嫌悪する次男トミーのコントラストをくっきり見せるが、エピソードもセリフも単調。セリフによる演技の見せ場は1の4も1の5も皆無ゆえ、どちらも凡作に堕している。最終話1の6はナイト単独クレジットだが、驚愕お粗末の展開に満ちている。評価的には、全6話の順にA A A B+ C C-となる。シーズン1の総合スコアはA-。


と、ここまで延々とシーズン1の美しさと醜悪さを書き連ねて来たが、まだ触れていない主要登場人物が二人いる。美女と野獣だ。

「美女」はトミーのミューズでありトミーをPTSDから解放するグレース・バージェス(アナベル・ウォリス)。

「馬と呼ばれた男」などの名優リチャード・ハリスの姪。なので、ハリスの息子の名優ジャレド・ハリス(「チェルノブイリ」、「ザ・クラウン シーズン1」など)のいとこということになる。

彼女はこのシーズン1で注目され、2017年にはトム・クルーズの相手役に抜擢されている。それが、近年のクルーズ作品で最悪の評価を得た「ザ・マミー」。

これ以外にも、「アローン」、「サイレンシング」のアナベルをチェックしたが、作品は3本全てROTTEN TOMATOESでは10%台の凡作駄作。いずれも、彼女は美しいが作品は酷かった、で終わってしまった。

現在、東京で公開中の「サイレント・ナイト」にも四番手でキャストされているがどうだろう。見ても同じ結果になるのではないだろうか。


アナベルの役柄はピーキー・ブラインダースの溜まり場パブ「ザ・ギャリソン」に、ある日舞い降りたアイルランドの歌姫バーメイド。どう考えてもウラがある美女なのだが、ピーキー・ファミリーの男たちは誰一人疑うわけでもない。そこは甘いと言えば甘い。が、アナベルのエレガンスがあまりに香華豊かなので私は惚れ込んでしまった。

問題は、サム・ニール演ずる「野獣」との確執だ。


「ピーキー・ブラインダース」には各シーズンに大物俳優が演ずるトミーの仇敵nemesisが配されている。

最初の2シーズンがサム・ニールのチェスター・キャンベル警部。シーズン2ではノア・テイラーのダービー・サビーニとトム・ハーディのアルフィ・ソロモンズというロンドンのギャングスター二人が加わる。

シーズン3がパディ・コンシダイン演ずる国粋主義者で悪魔のペドファイラー、ジョン・ヒューズ神父。

シーズン4はエイドリアン・ブロディ演ずるアメリカン・マフィアのルカ・シャングレッタ。

シーズン5&6がサム・クラフリン演ずる英国ファシスト党党首のオズワルド・モスビー。このうち実在の人物はサビーニ、ソロモンズ、モスビーの3人だ。

サム・ニールのキャンベル警部は1919年ロイド・ジョージ政権に於ける国務長官で当時45歳のウィンストン・チャーチル(アンディ・ナイマン)の特命を受け、紛失した武器捜索のためバーミンガムにやって来た傲慢タフの捜査官。

グレースはキャンベルの同僚である父親をIRAに殺されたため、そのアイルランド解放戦線の闘士たちへの復讐心から潜入捜査官になった女。

彼女のミッションは、ピーキー・ブラインダースが盗んだ武器がIRAに渡るのを防ぐ、あるいはその前に発見すること。で、当然ながらトミーと恋に落ちる。ここまでは許容範囲。

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とんでもないことになるのは、キャンベル警部があろうことか、グレースにプロポーズし、彼女がトミーに思いを寄せていることがわかるや否や嫉妬の鬼と化すくだり。

エピローグでは、心に傷を抱え、バーミンガムを去ろうとするグレースを撃ち殺そうとする横恋慕男がキャンベルなのだ。

これは究極の情けない「殿ご乱心」設定だ。キャラクターを殺してしまっている。演技派ニールをここまで日活アクション・メロ世界の色ぼけ仇役に貶めるか、と私は呆れ果て大落胆した。それゆえ、シーズン・フィナーレは最低評価のC -なのだ。

嫉妬心はあっても、キャンベルには大人の対応をさせるべきであった。その方が役のスケール感も出る。名優サム・ニールをここまでブザマに落とした脚本も演出も下の下の下だと罵倒したい。

シーズン2以降は全エピソードの脚本をナイトが書いている。演出は全6話コルム・マッカーシーだ。シーズン1のアヘンはコカインに変化する。(以下、次回)


 a-Nikki 1.02