2023/02/20 (月) 作家の家を想う。
■ フランソワ・オゾンが監督した「すべてうまくいきますように」の主人公は実在の女性作家だ。名前はエマニュエル・ベルンエイム。映画は、彼女が書き綴った尊厳死を望む父親との葛藤の記録を原作としている。主人公を演じているのはソフィー・マルソー。父親はアンドレ・デュソリエ。エマニュエルの妹パスカルをジェラルディン・ペラスが演じている。アーティストの母親が老いてますます凄みの増したシャーロット・ランブリング。
私は50代のソフィーの自然体の演技と美しさに終始魅せられてしまった。
父親とのシーンはドラマの核なので見応えあるのはもちろんだが、深く静かに心の琴線に触れて来るのは姉妹の距離感だ。ソフィーとジェラルディンのケミストリーが実に素晴らしい。
■ 私は、フランス映画に登場する作家の家の色調にいつも魅了される。今回、その空間はパリの高級アパルトマンなのだが、燻し銀の脇役的役割でエマニュエルの「色合い」となっている。オゾン作品は近年、殆ど見ることはなかったが、導入部の闊達な語り口から匠の仕事の全てを楽しむことができた。評価するならAになる。
私が好きなオゾン作品は「スイミング・プール」で、こちらは「作家の家」が主要舞台となっている。設定は出版社の社長の別荘だが、シャーロット・ランブリング演ずる主人公のイギリス人ミステリー作家がそこを借りてスランプ解消の「作家の幻想」を体感する映画だから「作家の家」と言っていいだろう。重要なのは、その脚本をオゾンと共同で書いたのが、エマニュエル・ベルンエイムであるということ。
■ リンクしたそういう事実にも驚いたが、もっと驚き心を揺さぶられたのはエマニュエル自身は、父の尊厳死を扱ったこの映画が作られる遥か以前、2017年に癌で亡くなっていることだ。その事実は、私にとって、ソフィー・マルソーが演じた主人公が死んだかのようななんとも寂しい最終章の衝撃を残すことになった。
さらに付け加えると、エマニュエルは死の直前まで親交のあった映画監督アラン・カヴァリエと父の尊厳死をめぐる家族の肖像を描こうとしていた。その記録をカヴァリエがドキュメンタリーに撮っている。今は、そこで描かれた彼女の言動を見てみたいと思う。その作品がどれだけオゾン作品のインスピレーションを掻き立てたのか、オゾンに聞いてみたいとも思う。カヴァリエが、オゾン作品を見て何を感じたのかも知りたい。好奇のアンテナはどんどん広がっているから、「すべてうまくいきますように」は、私にとって、とても大事な映画なのだ。
■ 作家は、作品を残すだけでなく作品を書いた空間を残す。私はそういう空間に無限の憧れを抱く。その意味で、「わが母の記」はとてつもなく幸福な映画体験だった。文豪井上靖の描いた母との葛藤の時を本物の「作家の家」と「作家の別荘」で撮影することができたのだから。
私の書棚には2冊の「作家の家」本がある。一冊は、井上靖邸も登場するコロナブックスの「作家の家」。出版されたのは2010年だから、私が「わが母の記」を撮影する直前の井上家の形が残されている。その空間は、既に消滅してしまった。こちらの本は作家といっても文豪ばかりでなく造形作家、画家も含まれている。私はことに、「毎朝、家中の鎧戸を開け犬の散歩に出かけた」という東京新宿区の吉田健一邸と岡部伊都子さんが1975年から2008年まで暮らしたという京都の家が気に入っている。
■ もう一冊はヴォーグの編集にも携わっていたジャーナリストで作家のフランチェスカ・プレモリ・ドルーレがファッション誌で自然の美を追及し庭園写真家としても名高いニューヨーク生まれのエリカ・レナードと組んで上梓した「作家の家」だ。西村書店が2009年に出版した。
マルグリット・デュラスから始まってカーレン・ブリクセン(イサク・ディーネセン)、コクトー、ダヌンツィオ、ダレル、フォークナー、ヘミングウェイ、ヘッセ、モラヴィアなど20人の文豪・詩人が並ぶ。日本語の活字の配置やフォントがレナードの写真の美観と調和していない違和感が残るが、そこに記載されているプレモリ・ドルーレの文章からは知的探究心が心地よく立ち上がっている。
■ そういえば、イングマール・ベルイマンは作家の幽霊に出会いたくて、アウグスト・ストリンドベルイの住んだ家を購入したのではなかったか。
私はベルイマンの幽霊に出会いたくていつかフォール島の、彼の終息の地を訪ねてみたいと思っている。
そして、もちろん、私は「映画監督の家」にも「作家の家」と等質の愛情を抱いている。パームスプリングスのハワード・ホークスの家は私にとっての聖地となり、サミュエル・フラーの「書庫の砦」は私の居住環境の理想となって記憶に残っている。
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