2023/03/22 (水)

栗山ジャパン、劇的興奮をありがとう!


準決勝のメキシコ戦、決勝のアメリカ戦、久しぶりに野球がくれる劇的興奮が体と心を貫きました。準決勝にも、決勝にも、9回のヒロイックスがあった。

準決勝では吉田の同点3ランに泣き、9回裏の大谷の斬り込み二塁打と村上の逆転サヨナラ二塁打に泣いた。決勝では村上の同点ソロに泣き、最高の投手陣の盤石の継投に唸り、大谷の、最高の舞台での大勝負に歓喜した。

魂を込めた試合では、野球の神様が優れて劇的なシナリオを書いてくれるのだ、と改めて実感した次第。

だって、大谷とトラウトの9回ツー・アウトの対決をフィナーレに持っていくためにはダルヴィッシュが8回に登板してシュワーヴァーに特大のソロ・ホームランを打たれてなお、ターナーも出塁し、7番、8番を討ち取ることが必要だったし、いざ9回の攻撃が始まったら先頭9番のマクニールを大谷が歩かせてしまう展開で、3人目に登場するトラウトとの「最後のアウトを取りに行く対決」の夢が敗れたかと思わせておいて、1番のムーキー・ベッツをダブルプレイに仕留めるなんて、もうてんこ盛りの意表突っつきドラマが続いた。

その大決着が、フルカウントから大谷が投げたスライダーをトラウトが空振りした瞬間だった。

これは球史に燦然と輝く歴史的大勝負となりました。

ポストシーズンのヒリヒリする大勝負に縁がなかった大谷にとっても、歴史的な勝利になった。


この感動の味を覚えた大谷は、残り1シーズンをエンゼルスのユニフォームで過ごしたとしても、エンゼルスがポスト・シーズンに進出できなければ(おそらく出来ないでしょう)、2024シーズンは、確実に、自己の技量を最大限発揮できる「ワールド・シリーズ制覇を狙えるチーム」に行くだろう。

有力候補はドジャース、パドレス、ヤンキース。

大谷がドジャースに加入すれば、私は2024年にまたドジャー・ファンに戻ると思う。今シーズンは移籍したコディ・ベリンジャーにくっついてシカゴ・カブスをご贔屓チームの筆頭にするつもり。

それにしても栗山ジャパンは素晴らしいチームだった。MLBに東京をフランチャイズにする栗山サムライボーイズを誕生させて欲しいと思ったくらいだ。


2023/03/08 (水)

みんな、「フェイブルマンズ」を見てくれ!


3月6日から過去に遡っての映像シャワー。

3/6「フェイブルマンズ」 
スティーヴン・スピールバーグの映画に一度でも歓喜した人はこの作品を見てほしい。ミシェル・ウィリアムスもポール・ディノも子供達も素晴らしい。老いてますます風格の増したジーニー・バーリンとセス・ローガンの配役も気が利いている。ジャッド・ハーシュはさまよえるジューイッシュの姿を借りて降臨した映画の神。これが中盤をしめ、ラストは文字通りの映画の神がスクリーンに降り立つ。この神のキャストがまたすごい。

どこを切り取っても映画愛が溢れ出る。

笑いのレヴェルも「エブリシング」のような下賎ナンセンスではない。

私にとっては、涙笑涙笑涙の大傑作だった。

アカデミー賞の作品賞、監督賞、主演女優賞、脚本賞を取るべきだが、昨今の映画嗜好はどこの国でもズレまくっている。DGAもPGAも「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」に行ってしまった。こんなユニヴァースでは「フェイブルマンズ」のオスカーは無理かもしれない。しかし、これはハリウッドの過去半世紀を代表する監督の青春譜である。盛大に讃えるべきだろう。
評価:A +


3/6「アラビアン・ナイト 三千年の願い」 
「フェイブルマンズ」を見るための時間調整で見た作品。これが大当たりだった。ジョージ・ミラーの語り口のうまさ。ティルダ・スウィントンとイドリス・エルバの完璧なデュオ。物語を語る世界にグイグイ引き込まれる。まるでイサク・ディーネセンの「7つのゴシック物語」に浸るかのように心が掻き乱される。イドリスのザ・ジンの、三千年の憂愁のクロースアップこそ「バビロン」に足りなかったものだ。
評価:A



2/28「別れる決心」 
手がかりをiphoneにばかり頼るところが愚か。導入部のフラッシュバックとscenes within scenesの多用は、「エルヴィス」ほどには機能していない。パク・チャヌクは突飛さだけを狙っているようでやりすぎ感いっぱい。タン・ウェイは魅力的だが、パク・ヘイルに乗れず。最後の穴掘りは設定が無理。
評価:B

2/27「エルヴィス」 
オースティン・バトラーのエルヴィスに酔う。導入部のフラッシュバックとscenes within scenesの手法に見事乗せられる。バズ・ラーマンに監督賞を与えるべきだろう。トム・ハンクスのコロネル・パーカーは決して縁起がオーヴァーなわけではないが、存在自体が「雪だるまの怪人」になっている。そのカリカチュアが作品全体の足を多少引っ張っているかもしれない。
評価:A

2/27「ザ・クラウン」
シーズン5を見始める。ジョナサン・プライスとレスリー・マンヴィルが魅力。デベッキはダイアナの表情をよく研究している。エピソードは第3話が面白かった。モウモウ、ドディ登場話。

2/22「対峙」 
マーサ・プリンプトンが主演女優、アン・ダウドが助演女優という感じ。しかしこの役、アン向ではない。マーサの勝ち。フラン・クランツの脚本に乗れず。
評価:B


2/21「バビロン」 
大愚作。怠慢浪費の極み。ブラッド・ピットはトーキーで絶望するスターの使い古されたパターン。ピット映画史で最もつまらない役だ。マーゴット・ロビーの熱演が軽薄な「空騒ぎ」に散る虚しさ。エリック・ロバーツの父親との絡みも中途半端。脇役端役全てが機能していない。ロスチャイルド家など上流の人々がまるでボケ。導入部の象がいる道を来たトラック運転手の、象に驚く様は完全なボケ演出。最大のボケ演出は、実質的な主役ディエゴ・カルヴァのバカずらクロースアップ。虚しさの極み。デミアン・チャズルは「ラ・ラ・ランド」で引退した方がよかった。
評価:C

2/19「アルゼンチン1985」 
Amazonで何度も中断していたが、今回はトップから日本語字幕で見たら映像のブラックアウトに悩まされることもなかった。裁判シーンは感動的だし、サンティアゴ・ミトレの秀作労作であることは間違いがない。リカルド・カリンの主役ぶりも堂々。ゴールデングローブの外国映画賞も当然。
評価:A

2/18「THE DURRELLS」 
長い間放っておいた英国産シリーズ。キーウィ・ホーズ、ジョッシュ・オコナー以下キャストがいいし、1920年台のギリシャ設定もいい。撮影も美術のトーンも素晴らしい。しかし見続けるかどうかは疑問。家にあるのはシーズン2まで。実際はシーズン4まで続いた。

2/18「ニュー・アムステルダム」 
NBCのTVシリーズ第1話はテンポよく面白かった。見知らぬ役者たちが全員いい。ライアン・エッゴールドはジェラルド・バトラー似、ジャネット・モンゴメリーは英国出身の美人演技派。フリーマ・アジェマンも英国黒人美女。3シーズンあるので見続けるかどうかわからないが。

2/15「グラス・オニオン」 
一作目の芳醇な演技合戦の香りゼロ。愚作。評価:C


2/12「SHE SAIDその名を暴け」 
ニューヨーク・タイムスの編集局内でセリフがあるのは主役二人と調査部上司2名(レベッカ・コーベットとマット・パーディ)、編集長のディーン・バケットのみ。エキストラを捌けない演出ゆえ全てに臨場感がない。結局は取材と証言の繰り返しで単調な演出になる。原作の方が圧倒的に面白い。

「スキャンダル」がジョン・リスゴーをセクハラ上司にキャストして成功していたように、ハーヴェイ・ワインシュティンは演技派の役者に演じさせ、記者たちとの攻防をしっかり描くべきだった。原作が暴いている「弁護士の欺瞞」も映画では遠慮している。

ハーヴェイとズブズブの大物弁護士デーヴィッド・ボイーズには大遠慮で登場もさせなかったし、リサ・ブルームもチャールス・ハーダーもほぼそこにいるだけ。彼らの「危険度」を描かなければこの題材を映画化する意味がない。こういった弁護士たちが、ハーヴェイの犯罪の50%を占めているにもかかわらず、だ。

ミラマックス側の内部通報者となるアーウィン・ライターの、映画での扱いの軽さにも驚く。彼の悩み抜いた末の告発が映画ではカケラも描かれない。匿名電話で「アーウィンはハーヴェイを憎んでいる」と言わせてジョディに取材させる。実に愚鈍な脚色だ。ミラマックス内部での彼の確執、娘に相談して勇気づけられる、といったプロセスを省いている。

監督であるマリア・シュラーダーの手腕がイマイチということでもある。前作「シュテファン・ツヴァイク/ヨーロッパを離れて」も後半驚くほど単調に堕している。評価:B +


2023/02/24 (金)

読書欲、収集欲。


「作家の家」本を開いてから新たな読書欲に取り憑かれたかもしれない。マルグリット・デュラスの家のあり様を見たら、そこに引用されている彼女のエッセイ「エクリール」を読みたくなって購入した。カーレン・ブリクセンの豪邸を見て、その生き様を思い返すと、彼女がイザク・ディーネセン名義で、アメリカで最初に出版した「七つのゴシック物語」を無性に読みたくなった。

「生き様を思い返す」と言ってもそれは「愛と哀しみの果て」という、作者が身悶えするような邦題をつけられた「アフリカの日々」映画化においてのメリル・ストリープの姿を思い描いているだけなのだが。シドニー・ポラックが監督したこの「OUT OF AFRICA」は傑作であり、アカデミー賞作品賞に相応しい香華と風格を備えている。だから、これは原作を読んでどうこう比較する考えもない。映画のままで完結させておきたい。

ちなみに今年のアカデミー賞作品賞候補作でこれに匹敵する香華と風格があるとすれば、「西部戦線異状なし」ぐらいか。ひょっとしたら「フェイブルマンズ」にも「映画作家の想い」に寄り添う形でそれらはあるかもしれない。作品を見たらここで報告しよう。


私の読書欲は、正確に言うと、読みたいと思う本を集めておく、ということかもしれない。学校に例えるならば、毎年(むしろ毎月)入学させるが、留年する生徒が次々増えるだけで卒業生はかなり少ない、そんな感じだ。

で、自分の監督作品に取り掛かると関連書籍を次々読んで行くから、こういう本は裏口回路でクィックに卒業させる。先月は、タイムマシン関連のSF作品を10冊ほど購入し、ポイントだけをメモして卒業させてしまった(タイムマシンを扱った近年の小説はどうしてこんなに長くなるのだろう)。

なかなか卒業できないで、私の枕元に並んでいる本は20冊以上ある。それ以外にも数年越しの留年組も数多い。今、優先的に卒業させようと頑張っているのがタナ・フレンチの「捜索者」。でも再読している「ベルイマン自伝」の方が数等面白くて、しかも、忘れていることも多くて新鮮で、デュラスもディーネセンも含めて、ベルイマンには負けてしまうかもしれない。


私のささやかな「作家の家」について語るなら、「突入せよ!あさま山荘事件」以降はほぼ全て隅田川を見下ろす書斎で書いている。部屋自体はその周辺で三箇所移動しているが。

「金融腐食列島・呪縛」は広尾の聖心女子大裏の借家、「バウンスkoGALS」は幸手、「栄光と狂気」はグレンデールの家とモントリオール。

「KAMIKAZE TAXI」はグレンデールの家。

「ウィンディー」は主にベルリン。

「さらば映画の友よ」はサンタモニカの海から4本目の通りにあるアパートだった。


2023/02/24 (金)

読書欲、収集欲。


「作家の家」本を開いてから新たな読書欲に取り憑かれたかもしれない。マルグリット・デュラスの家のあり様を見たら、そこに引用されている彼女のエッセイ「エクリール」を読みたくなって購入した。カーレン・ブリクセンの豪邸を見て、その生き様を思い返すと、彼女がイザク・ディーネセン名義で、アメリカで最初に出版した「七つのゴシック物語」を無性に読みたくなった。

「生き様を思い返す」と言ってもそれは「愛と哀しみの果て」という、作者が身悶えするような邦題をつけられた「アフリカの日々」映画化においてのメリル・ストリープの姿を思い描いているだけなのだが。シドニー・ポラックが監督したこの「OUT OF AFRICA」は傑作であり、アカデミー賞作品賞に相応しい香華と風格を備えている。だから、これは原作を読んでどうこう比較する考えもない。映画のままで完結させておきたい。

ちなみに今年のアカデミー賞作品賞候補作でこれに匹敵する香華と風格があるとすれば、「西部戦線異状なし」ぐらいか。ひょっとしたら「フェイブルマンズ」にも「映画作家の想い」に寄り添う形でそれらはあるかもしれない。作品を見たらここで報告しよう。


私の読書欲は、正確に言うと、読みたいと思う本を集めておく、ということかもしれない。学校に例えるならば、毎年(むしろ毎月)入学させるが、留年する生徒が次々増えるだけで卒業生はかなり少ない、そんな感じだ。

で、自分の監督作品に取り掛かると関連書籍を次々読んで行くから、こういう本は裏口回路でクィックに卒業させる。先月は、タイムマシン関連のSF作品を10冊ほど購入し、ポイントだけをメモして卒業させてしまった(タイムマシンを扱った近年の小説はどうしてこんなに長くなるのだろう)。

なかなか卒業できないで、私の枕元に並んでいる本は20冊以上ある。それ以外にも数年越しの留年組も数多い。今、優先的に卒業させようと頑張っているのがタナ・フレンチの「捜索者」。でも再読している「ベルイマン自伝」の方が数等面白くて、しかも、忘れていることも多くて新鮮で、デュラスもディーネセンも含めて、ベルイマンには負けてしまうかもしれない。


私のささやかな「作家の家」について語るなら、「突入せよ!あさま山荘事件」以降はほぼ全て隅田川を見下ろす書斎で書いている。部屋自体はその周辺で三箇所移動しているが。

「金融腐食列島・呪縛」は広尾の聖心女子大裏の借家、「バウンスkoGALS」は幸手、「栄光と狂気」はグレンデールの家とモントリオール。

「KAMIKAZE TAXI」はグレンデールの家。

「ウィンディー」は主にベルリン。

「さらば映画の友よ」はサンタモニカの海から4本目の通りにあるアパートだった。


2023/02/20 (月)

作家の家を想う。


フランソワ・オゾンが監督した「すべてうまくいきますように」の主人公は実在の女性作家だ。名前はエマニュエル・ベルンエイム。映画は、彼女が書き綴った尊厳死を望む父親との葛藤の記録を原作としている。主人公を演じているのはソフィー・マルソー。父親はアンドレ・デュソリエ。エマニュエルの妹パスカルをジェラルディン・ペラスが演じている。アーティストの母親が老いてますます凄みの増したシャーロット・ランブリング。

私は50代のソフィーの自然体の演技と美しさに終始魅せられてしまった。

父親とのシーンはドラマの核なので見応えあるのはもちろんだが、深く静かに心の琴線に触れて来るのは姉妹の距離感だ。ソフィーとジェラルディンのケミストリーが実に素晴らしい。


私は、フランス映画に登場する作家の家の色調にいつも魅了される。今回、その空間はパリの高級アパルトマンなのだが、燻し銀の脇役的役割でエマニュエルの「色合い」となっている。オゾン作品は近年、殆ど見ることはなかったが、導入部の闊達な語り口から匠の仕事の全てを楽しむことができた。評価するならAになる。

私が好きなオゾン作品は「スイミング・プール」で、こちらは「作家の家」が主要舞台となっている。設定は出版社の社長の別荘だが、シャーロット・ランブリング演ずる主人公のイギリス人ミステリー作家がそこを借りてスランプ解消の「作家の幻想」を体感する映画だから「作家の家」と言っていいだろう。重要なのは、その脚本をオゾンと共同で書いたのが、エマニュエル・ベルンエイムであるということ。


リンクしたそういう事実にも驚いたが、もっと驚き心を揺さぶられたのはエマニュエル自身は、父の尊厳死を扱ったこの映画が作られる遥か以前、2017年に癌で亡くなっていることだ。その事実は、私にとって、ソフィー・マルソーが演じた主人公が死んだかのようななんとも寂しい最終章の衝撃を残すことになった。

さらに付け加えると、エマニュエルは死の直前まで親交のあった映画監督アラン・カヴァリエと父の尊厳死をめぐる家族の肖像を描こうとしていた。その記録をカヴァリエがドキュメンタリーに撮っている。今は、そこで描かれた彼女の言動を見てみたいと思う。その作品がどれだけオゾン作品のインスピレーションを掻き立てたのか、オゾンに聞いてみたいとも思う。カヴァリエが、オゾン作品を見て何を感じたのかも知りたい。好奇のアンテナはどんどん広がっているから、「すべてうまくいきますように」は、私にとって、とても大事な映画なのだ。


作家は、作品を残すだけでなく作品を書いた空間を残す。私はそういう空間に無限の憧れを抱く。その意味で、「わが母の記」はとてつもなく幸福な映画体験だった。文豪井上靖の描いた母との葛藤の時を本物の「作家の家」と「作家の別荘」で撮影することができたのだから。

私の書棚には2冊の「作家の家」本がある。一冊は、井上靖邸も登場するコロナブックスの「作家の家」。出版されたのは2010年だから、私が「わが母の記」を撮影する直前の井上家の形が残されている。その空間は、既に消滅してしまった。こちらの本は作家といっても文豪ばかりでなく造形作家、画家も含まれている。私はことに、「毎朝、家中の鎧戸を開け犬の散歩に出かけた」という東京新宿区の吉田健一邸と岡部伊都子さんが1975年から2008年まで暮らしたという京都の家が気に入っている。


もう一冊はヴォーグの編集にも携わっていたジャーナリストで作家のフランチェスカ・プレモリ・ドルーレがファッション誌で自然の美を追及し庭園写真家としても名高いニューヨーク生まれのエリカ・レナードと組んで上梓した「作家の家」だ。西村書店が2009年に出版した。

マルグリット・デュラスから始まってカーレン・ブリクセン(イサク・ディーネセン)、コクトー、ダヌンツィオ、ダレル、フォークナー、ヘミングウェイ、ヘッセ、モラヴィアなど20人の文豪・詩人が並ぶ。日本語の活字の配置やフォントがレナードの写真の美観と調和していない違和感が残るが、そこに記載されているプレモリ・ドルーレの文章からは知的探究心が心地よく立ち上がっている。


そういえば、イングマール・ベルイマンは作家の幽霊に出会いたくて、アウグスト・ストリンドベルイの住んだ家を購入したのではなかったか。

私はベルイマンの幽霊に出会いたくていつかフォール島の、彼の終息の地を訪ねてみたいと思っている。

そして、もちろん、私は「映画監督の家」にも「作家の家」と等質の愛情を抱いている。パームスプリングスのハワード・ホークスの家は私にとっての聖地となり、サミュエル・フラーの「書庫の砦」は私の居住環境の理想となって記憶に残っている。


 a-Nikki 1.02