2010/02/07 (日)

THE ROAD TO CRAZY HEART

日曜夜のビヴァリー・センターはゴーストタウンだった。オープンしているのは8Fの映画館だけ。従業員はミニマム。観客もミニマム。13スクリーンで、20人いたかどうか。ぼくが見たのは以前ここでも書いたコーマック・マッカーシー原作の「ザ・ロード」。父親のヴィーゴも息子のコーディも名演。しかし、作品は極めつけの退屈さ。ディプレッシング&ボアリング。日本での劇場公開はほとんど不可能だろう。

監督のジョン・ヒルコートはグリム・リアルな世界を作る力はあるが物語を語る能力がない。前作「プロポジション」のときもそうだった。しかし、戦犯はプロデューサーたちだろう。見識がない。だから、お粗末な脚本で企画を進めてしまった。原作の香華はゼロ。アポカリプティック・ワールドの暗鬱だけが強調されている。数少ないアクションの手際も悪い。妻(シャリーズ・セロン)との原作にはないカットバックはやってはいけないことだった。

三日後見た「ホワイト・リボン」は「名作」。20世紀初頭の写真が動き出したような世界観は、すごみがある。顔のアンサンブル(殊に子役、エヴァ、語り部の教師)が見事。ミヒャエル・ハネケの最高傑作であることは間違いない。ただし、ぼくの本年度のベストワンになることはない。カンヌではハネケがパルムドールを取ったが、そのときに第二着のグランプリとなったのはジャック・オーディアール監督のフランス映画「プロフェット」。その予告編を同じ劇場でやっていた。どきどきするほどパワフルな世界観がある。この二作はアカデミー賞の外国語映画賞でもノミネートされたが、受賞するのは「プロフェット」ではないか。少なくとも、ぼくは、「プロフェット」に軍配をあげると思う。しかし、ニッポンではいつ配給されるのか?ジャック・オーディアールのような傑出した監督の作品がなかなか公開されないのがニッポンの現実だ。

その翌日見たのが、アカデミー賞の作品賞、主演女優賞、脚色賞にノミネートされた「AN EDUCATION」。凡作。16歳のヒロインを演ずるケイリー・マリガンがお粗末。菊池凛子の高校生とどっこいどっこいのおばさん顔。ベイビーフェイスではあっても、ケイリーは表情が24歳なのだ。これで、60年代の青春を綴られても不快。脚本も気の利いた台詞がいくつかあるだけで、お粗末。ローン・シェフィグの演出は前作以下。

そして、出会ったのが「CRAZY HEART」。ジェフ・ブリッジス演ずる破滅型のカントリー&ウェスタン・シンガー、バッド・ブレイクが素晴らしい。そのラブ・インタレストとなるマギー・ギーレンホールも素晴らしい。ブリッジスのもとで修行した若手スーパースター、トミー・スィートを演ずるコリン・ファレルも素晴らしい。脚本演出のスコット・クーパーにそれほどの才気は感じられないが、名演と歌の邪魔はしていない。こちらもオスカー・ノミネーションは三つ。主演男優、助演女優、オリジナルソング。すべて取るんじゃないか。


と書いてから土曜の夜、グレンデール・エクスチェンジまで出かけてアカデミー賞6部門ノミネート(作品、監督、編集、脚色、主演女優、助演女優)の"PRECIOUS"を見た。ハーレムの最下層で、父親からレイプされ、母親からはコンスタントに殴られ、学問に目ざめていく16歳の巨漢ちゃんの話だ。

去年のサンダンス映画祭では観客賞、審査員賞、そして母親役のモニークへの審査員特別賞の3冠を達成した黒人監督リー・ダニエルスのブレークスルー作品。

驚いた。悲惨な話がユーモアとファンタジーで彩られ、母と娘プレシャスのパワフルな対決劇に昇華されている。導入部から初々しかった朝青龍を思わせるプレシャスの存在感に圧倒され、エネルギッシュな語り口に惹き付けられる。役者がうまい。殊に黒人女優たちのアンサンブルが素晴らしい。

プレシャスのギャブーリー・シディビー(と発音するのだろうか)はそのエレファント・サイズゆえに抜擢されたズブのシロウト。ケイリー・マリガンの16歳には不快感しか覚えなかったが、ギャビーの16歳には何度も泣き、心からの声援を送りたくなった。白眉は"Don't love me. Beat me. Rape me"と教師のポーラ・パットンに泣いて訴えるくだり。

ポーラ・パットン。「デジャブ」の美人女優が、特殊学級の教師役で作品のエレガンスを支える。彼女は登場の瞬間から観客を魅了する。このシーンの演出だけで、リー・ダニエルスはぼくの敬意を勝ち取り、そして、DGAのノミネーションも勝ち取った。監督とカメラマンはきっと彼女に恋をしてしまったのだろう。映画史に残る最高のエントランスのひとつ。美しい演技派の誕生を心から祝福したい。

シェリ・シェパード。少ない出番だが、一言一言にコメディエンヌの命がこもっている。ビッチー・トークに大笑い。

マライア・キャリー。え?これ?本当に?あの?マライア?ぜってー信じられん。化粧を落としたマライアは普通の演技派のおばさんで、ぼくは見ている間ずっと、オフ・ブロードウェイあたりで活躍している無名の女優なんだな、社会福祉局にいそうな社会福祉顔だから選ばれたんだな、でもうまいな、という感じで見ていた。エンドクレジットで役名と照合して、それでもまだ同姓同名の女優だと思っていた。家に帰って、IMDBで調べて、ミセス・ワイスのおばさん顔の写真も見て、一瞬気を失い本当にマライアなのだ、と納得した。世が世なら、彼女もポーラも、助演女優賞候補となってしかるべきなのだ。

さらに、プレシャスの同級生になる女生徒たちがすべて演技派。このクラスには「いつまでもいたくなる」情熱がある。

そして、モニーク。

プレシャスとの罵倒合戦、殴る蹴るのアクションは壮絶。

ぶっとい体で腰を動かす仕草は、やっぱ朝青龍なみの愛嬌。

ソーシャルワーカーが来るとかわいい無知な黒人女に変身して笑いを誘う。

今世紀最大の敵役をここまで愛らしく、リアルに演じたモニークには6000人のアカデミー会員も魅了されるに違いない。ヴェラ・ファーミガもマギー・ギーレンホールもお呼びじゃないね。神話の領域の名演だ。

「プレシャス」は今回の在米映画鑑賞ではダントツの傑作だった。ミヒャエル・ハネケ?問題外。「マイレージ・マイライフ』?体温が低すぎる。

今年一本見るなら「プレシャス」。


2010/01/31 (日)

THE BEATLES LOVE IN VEGAS

ラスヴェガスでシルク・ドゥ・ソレイユの新作「LOVE」を見て来た。ビートルスのナンバーで展開するドミニック・シャンパーニュ演出のシルク・サーカスだ。「O」のような、一点芸術性で突き抜けた部分はないが、ショーとしての仕上がりは「O」以上。正直な話、シルクのステージでは、一番感動した。その中心は、サージャント・ペッパー!

シルクのすごいところは動きのグラディエーションだ。アクション度マイナス5のハイスピード歩行からアクション度100のアクロバティック浮遊までを同時に、50名以上の出演者が遂行する豪華絢爛。これに酔う。恍惚が形で見える。

殊に、観客の期待感が高まり、一気に頂点まで駆け上がるビッグ・オープニング・ナンバーで、その特性が存分に発揮される。ひとつひとつの演し物に創意工夫があり、「O」のビッグ・オープニングは「ミステア」以上であったし、今回は「O」を軽くしのぐ。

曲目は「GET BACK」。

このビートルス・ナンバーの離れ業的な素晴らしさをシルクの肉体の躍動で改めて感じた。そして、改めて、ビートルスは偉大である、と思う。

フィーチャーされるのは二十数曲だから、当然、いくつかの「マイ・フェイヴォリット」は出て来ない。権利の問題もあったかもしれない。「イエロー・サブマリン」や「ミシェル」はないが、「レヴォリューション」はあるし「ヘイ・ジュード」もある。そして、キーとなるのが「サージャント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブバンド」とフィナーレの「ALL YOU NEED IS LOVE」だ。


ショー自体はビートルス・ナンバーの歌詞やジャケットでおなじみのキャラが登場して展開する。

SGT PEPPER MR.PIGGY NOWHERE MEN LADY MADONNA THE FOOL LUCY AND THE FIREMAN FATHER McKENZIE THE WALRUS and HER MAJESTYなどだ。これに数々のダンサーや曲芸師が加わると、それはあたかも、フェデリコ・フェリーニのサーカス人間の世界が現出する。

ビートルスの面々は、フィナーレ以外、スクリーンに投影されたシャドーである。幕間のコミックアクトという感じで、レノン中心の声のそっくりさんが話す。彼ら以外のスピーキング・パートはサーカス団長的なポジションを与えられているミスター・ピギー。オリジナルでは英国の無名の俳優、リンカーン・ハドソンがキャストされている。プログラムを見る限りでは、ぼくが見たショーでは代役だったように思えるのだが、代役にしてもなかなかの存在感だった。

しかし、白眉は、前にも触れたようにサージャント・ペッパーの扱いなのだ。彼の存在がショーのへそであり、心でもある。彼だけがショーの中で齢を重ね、そして再生復活して、フィナーレで、突き抜けた躍動感を見せる。失われた愛の世界での永遠性の獲得だ。出番も多い。その都度、動きのギアが違う。とはいっても、超ロー、ロー、セカンドと言ったヴァリエーションで、ラストにサージャント・ペッパーのキャラにふさわしいトップ・ギアに入れ替わるのだが、ここが今までのシルクのショーを飛び越えた感動をぼくの心に植え付けた。

「O」を見た時に書いた記憶があるが、シルク・ステージ最大の見せ場は中途にあり、いつも後半失速する。観客の欲望とイマジネーションに限りはない。すごい見せ場があれば、それ以上のものを次に期待する。「O」はその点で、急激に失速し、終盤部である種の落胆すら覚えた。立ち役が弱かったのだ。

今回は、サージャント・ペッパーを得たことで、その「問題点」が払拭されている。この役のアーチが見事だ。短足系ブルーカラー型体系のヴラディミール・ソスニンによって、役の特性が120%発揮されている。(オリジナルではカナダのピーター・ジェームスが演じている) 

ソスニンは「ミステア」にも出演していたというから、あのショーでぼくをもっとも感動させたピエロを演じていたのが彼であったかもしれない。このロシア出身の芸人の所作は、それ自体が芸術であると思う。歩く、止まる、見る、といった基本的なアクションひとつひとつに味がある。それが、たったひとりになってしまったバンド・リーダーとして、時代を巡り、ジーザス・クライスト的な高みに登りつめる「魂の巡礼者」を演ずるのだ。

「ゲット・バック」で泣き、数々の歓声を上げ、フィナーレの「LOVE」で泣いた。


2010/01/31 (日)

THE BEATLES LOVE IN VEGAS

ラスヴェガスでシルク・ドゥ・ソレイユの新作「LOVE」を見て来た。ビートルスのナンバーで展開するドミニック・シャンパーニュ演出のシルク・サーカスだ。「O」のような、一点芸術性で突き抜けた部分はないが、ショーとしての仕上がりは「O」以上。正直な話、シルクのステージでは、一番感動した。その中心は、サージャント・ペッパー!

シルクのすごいところは動きのグラディエーションだ。アクション度マイナス5のハイスピード歩行からアクション度100のアクロバティック浮遊までを同時に、50名以上の出演者が遂行する豪華絢爛。これに酔う。恍惚が形で見える。

殊に、観客の期待感が高まり、一気に頂点まで駆け上がるビッグ・オープニング・ナンバーで、その特性が存分に発揮される。ひとつひとつの演し物に創意工夫があり、「O」のビッグ・オープニングは「ミステア」以上であったし、今回は「O」を軽くしのぐ。

曲目は「GET BACK」。

このビートルス・ナンバーの離れ業的な素晴らしさをシルクの肉体の躍動で改めて感じた。そして、改めて、ビートルスは偉大である、と思う。

フィーチャーされるのは二十数曲だから、当然、いくつかの「マイ・フェイヴォリット」は出て来ない。権利の問題もあったかもしれない。「イエロー・サブマリン」や「ミシェル」はないが、「レヴォリューション」はあるし「ヘイ・ジュード」もある。そして、キーとなるのが「サージャント・ペッパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブバンド」とフィナーレの「ALL YOU NEED IS LOVE」だ。


ショー自体はビートルス・ナンバーの歌詞やジャケットでおなじみのキャラが登場して展開する。

SGT PEPPER MR.PIGGY NOWHERE MEN LADY MADONNA THE FOOL LUCY AND THE FIREMAN FATHER McKENZIE THE WALRUS and HER MAJESTYなどだ。これに数々のダンサーや曲芸師が加わると、それはあたかも、フェデリコ・フェリーニのサーカス人間の世界が現出する。

ビートルスの面々は、フィナーレ以外、スクリーンに投影されたシャドーである。幕間のコミックアクトという感じで、レノン中心の声のそっくりさんが話す。彼ら以外のスピーキング・パートはサーカス団長的なポジションを与えられているミスター・ピギー。オリジナルでは英国の無名の俳優、リンカーン・ハドソンがキャストされている。プログラムを見る限りでは、ぼくが見たショーでは代役だったように思えるのだが、代役にしてもなかなかの存在感だった。

しかし、白眉は、前にも触れたようにサージャント・ペッパーの扱いなのだ。彼の存在がショーのへそであり、心でもある。彼だけがショーの中で齢を重ね、そして再生復活して、フィナーレで、突き抜けた躍動感を見せる。失われた愛の世界での永遠性の獲得だ。出番も多い。その都度、動きのギアが違う。とはいっても、超ロー、ロー、セカンドと言ったヴァリエーションで、ラストにサージャント・ペッパーのキャラにふさわしいトップ・ギアに入れ替わるのだが、ここが今までのシルクのショーを飛び越えた感動をぼくの心に植え付けた。

「O」を見た時に書いた記憶があるが、シルク・ステージ最大の見せ場は中途にあり、いつも後半失速する。観客の欲望とイマジネーションに限りはない。すごい見せ場があれば、それ以上のものを次に期待する。「O」はその点で、急激に失速し、終盤部である種の落胆すら覚えた。立ち役が弱かったのだ。

今回は、サージャント・ペッパーを得たことで、その「問題点」が払拭されている。この役のアーチが見事だ。短足系ブルーカラー型体系のヴラディミール・ソスニンによって、役の特性が120%発揮されている。(オリジナルではカナダのピーター・ジェームスが演じている) 

ソスニンは「ミステア」にも出演していたというから、あのショーでぼくをもっとも感動させたピエロを演じていたのが彼であったかもしれない。このロシア出身の芸人の所作は、それ自体が芸術であると思う。歩く、止まる、見る、といった基本的なアクションひとつひとつに味がある。それが、たったひとりになってしまったバンド・リーダーとして、時代を巡り、ジーザス・クライスト的な高みに登りつめる「魂の巡礼者」を演ずるのだ。

「ゲット・バック」で泣き、数々の歓声を上げ、フィナーレの「LOVE」で泣いた。


2010/01/28 (木)

Greetings from Glendale

一昨日、LAに戻った。昨日の昼間はハリウッド・ブルヴァードのムッソ&フランクでブライアンと会食し、複数企画の進め方を検討した。来週はミーティングが相次ぐことになる。

久しぶりのハリウッドは緑が増えた。今年に入ってからの集中豪雨の影響で、グレンデール周辺でも緑は例年になく濃い。アヴォカドの実がたわわでないのがひどく淋しく感ずる。

到着の晩は地元のチャイニーズで夕食を取ったあと、バーバンクへ行き"UP IN THE AIR"を見た。日本では「マイレージ、マイライフ」の題でやるらしい。現代アメリカを企業の首切り専門職の目を通して描く、ほろ苦いコメディ。よく笑い、よく泣いた。とにかく、ジョージ・クルーニーとヴェラ・ファーミガが素晴らしい。その掛け合いの妙ゆえ、オスカーでは脚本賞を取るだろう。ジェイソン・ライトマン監督としては、「ジュノ」に続いて脚本賞で我慢というところだ。

ジェイソンは若いけれど、心のきびを描く術を心得ている。若さが勇み足になっているところも確かにある。クルーニーのプロティジェを演ずるアナ・ケンドリックの扱いなどその典型だ。彼女は頑張ってはいるのだが、役者にはもって生まれた資質というものがある。テキストブックの熱演だけでは「遠くに行く」ことはできない。例えば、メリル・ストリープが「ジュリア」でチョイ役をもらったとき、主役のジェーン・フォンだは監督のフレッド・ジンネマンにこんなことを囁いたという。

"This one will go far."

メリルはジェーンの予言通り、今もアメリカを代表する女優である。「ジュリア」の撮影時から考えると、34年も距離を稼いだことになる。ケンドリックはそんなスターのマイレージをためることはできない。

ブライアンの情報では、業界では、やはり、首切り問答の甘さがマイナス点だという。アイヴァン・ライトマンの息子としてハリウッドの上流階層を生きて来たジェイソンにはファンタジーの世界なのだ。

ぼくは、まあ、現代のフランク・キャプラ映画という切り口で、「ジュノ」よりも好スコアをあげたいと思う。本当に泣けるエピソードがいっぱいある。ただし、その中でもキーになる妹の結婚式で、マリッジ・ブルーになった婿を説得する見事にアンビヴァレントな見せ場をしくじっているのは残念だ。「コー・パイロット」になってほしい、だけでは弱い。しかも、婿役がミスキャスト。この辺にジェイソンの若さが露出している。


昨夜はオバマ大統領の60分を越える一般教書演説STATE OF THE UNIONをじっくり聞いたあと、再びバーバンクへ行き、"The Book of Eli"を見た。近未来の「股旅」映画である。デンゼル・ワシントンが聖書を運ぶ主人公の「やくざもの」イーライを演ずる。彼の存在感と演技は一流。殊に、トム・ウェイツとのやりとりが愉しい。映像は、一応凝ってはいるのだが、ヒューズ・ブラザースの監督作品だから、やたらたるい。プロットがお粗末なのだ。同じアポカリプティック・ワールドの冒険談ならば、コーマック・マカーシー原作の「ザ・ロード」の方が圧倒的に魅力がある。こちらで役名があったのは「イーライ」だけだったな、そう言えば。

敵役のゲイリー・オールドマンは声質も喋り方も、若き日のリチャード・ウィドマークをまねしているようで、そこのところだけは感心した。控えめなハイエナ笑いを交えた第一声など、ウィドマークが降臨したのかと思ったほどだ。口元をきゅっと引き締めた含み笑いなど、ヴィンテージ・ウィドマークだった。おそらくはオールドマン独自の工夫だろう。いつか会う機会があったら確かめてみたい。

隣ではポール・ベタニー主演の"Legion"をやっていた。これもアポカリプティック・ワールドのおばかアクション。後半を1時間見た。「ベルリン天使の詩」とゾンビ映画を掛け合わせ、ターミネイターのプロットを借りて作った砦の攻防戦。あの、頭の悪い「ミスト」にも似た気色の悪さもある。よくぞまあ、こんなデキの悪い脚本を映画化したものだ。遠くに行く筈のベタニーが遠くに行けないプロデューサーやら監督に捕まってしまった一本。アーメン。


2010/01/28 (木)

Greetings from Glendale

一昨日、LAに戻った。昨日の昼間はハリウッド・ブルヴァードのムッソ&フランクでブライアンと会食し、複数企画の進め方を検討した。来週はミーティングが相次ぐことになる。

久しぶりのハリウッドは緑が増えた。今年に入ってからの集中豪雨の影響で、グレンデール周辺でも緑は例年になく濃い。アヴォカドの実がたわわでないのがひどく淋しく感ずる。

到着の晩は地元のチャイニーズで夕食を取ったあと、バーバンクへ行き"UP IN THE AIR"を見た。日本では「マイレージ、マイライフ」の題でやるらしい。現代アメリカを企業の首切り専門職の目を通して描く、ほろ苦いコメディ。よく笑い、よく泣いた。とにかく、ジョージ・クルーニーとヴェラ・ファーミガが素晴らしい。その掛け合いの妙ゆえ、オスカーでは脚本賞を取るだろう。ジェイソン・ライトマン監督としては、「ジュノ」に続いて脚本賞で我慢というところだ。

ジェイソンは若いけれど、心のきびを描く術を心得ている。若さが勇み足になっているところも確かにある。クルーニーのプロティジェを演ずるアナ・ケンドリックの扱いなどその典型だ。彼女は頑張ってはいるのだが、役者にはもって生まれた資質というものがある。テキストブックの熱演だけでは「遠くに行く」ことはできない。例えば、メリル・ストリープが「ジュリア」でチョイ役をもらったとき、主役のジェーン・フォンだは監督のフレッド・ジンネマンにこんなことを囁いたという。

"This one will go far."

メリルはジェーンの予言通り、今もアメリカを代表する女優である。「ジュリア」の撮影時から考えると、34年も距離を稼いだことになる。ケンドリックはそんなスターのマイレージをためることはできない。

ブライアンの情報では、業界では、やはり、首切り問答の甘さがマイナス点だという。アイヴァン・ライトマンの息子としてハリウッドの上流階層を生きて来たジェイソンにはファンタジーの世界なのだ。

ぼくは、まあ、現代のフランク・キャプラ映画という切り口で、「ジュノ」よりも好スコアをあげたいと思う。本当に泣けるエピソードがいっぱいある。ただし、その中でもキーになる妹の結婚式で、マリッジ・ブルーになった婿を説得する見事にアンビヴァレントな見せ場をしくじっているのは残念だ。「コー・パイロット」になってほしい、だけでは弱い。しかも、婿役がミスキャスト。この辺にジェイソンの若さが露出している。


昨夜はオバマ大統領の60分を越える一般教書演説STATE OF THE UNIONをじっくり聞いたあと、再びバーバンクへ行き、"The Book of Eli"を見た。近未来の「股旅」映画である。デンゼル・ワシントンが聖書を運ぶ主人公の「やくざもの」イーライを演ずる。彼の存在感と演技は一流。殊に、トム・ウェイツとのやりとりが愉しい。映像は、一応凝ってはいるのだが、ヒューズ・ブラザースの監督作品だから、やたらたるい。プロットがお粗末なのだ。同じアポカリプティック・ワールドの冒険談ならば、コーマック・マカーシー原作の「ザ・ロード」の方が圧倒的に魅力がある。こちらで役名があったのは「イーライ」だけだったな、そう言えば。

敵役のゲイリー・オールドマンは声質も喋り方も、若き日のリチャード・ウィドマークをまねしているようで、そこのところだけは感心した。控えめなハイエナ笑いを交えた第一声など、ウィドマークが降臨したのかと思ったほどだ。口元をきゅっと引き締めた含み笑いなど、ヴィンテージ・ウィドマークだった。おそらくはオールドマン独自の工夫だろう。いつか会う機会があったら確かめてみたい。

隣ではポール・ベタニー主演の"Legion"をやっていた。これもアポカリプティック・ワールドのおばかアクション。後半を1時間見た。「ベルリン天使の詩」とゾンビ映画を掛け合わせ、ターミネイターのプロットを借りて作った砦の攻防戦。あの、頭の悪い「ミスト」にも似た気色の悪さもある。よくぞまあ、こんなデキの悪い脚本を映画化したものだ。遠くに行く筈のベタニーが遠くに行けないプロデューサーやら監督に捕まってしまった一本。アーメン。


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