2006/03/22 (水)

トークショー&脚本塾のお知らせ。

詳細はフィルム微助人のサイト、http://befilm.org/を参照してくださいませ。脚本塾に関するチラシは、4月以降、東京を中心とした地方(この場合、「中央」は沼津なのだ)でも目にすることになるかもしれない。

トークショーは4/15と16、沼津シネマサンシャインのオープンに合わせて開催される。

で、4/15の日程は朝9時15分の沼津シネマサンシャインのオープニング上映を「金融腐蝕列島・呪縛」が祝う。で、16時より「自由戀愛」上映。18時10分よりトークショー。約1時間。19時から「狗神」、21時20分より「KAMIKAZE TAXI」。翌16日は、「狗神」が9時15分。14時がトークショーでそのあと15時か「KAMIKAZE」上映。「呪縛」が18時30分。「自由戀愛」が21時20分。こんな感じで、この4作品が時間帯を変え、21日まで上映される。

近郷近在の多くの映画ファンが集まれば、沼津は幸せでしょう。無論、脚本塾の詳細および環境など(風景、旅館、めし)チェックなさりたいかたもこの機会に是非。

沼津シネマサンシャインは沼津駅北口なので、このサイトに何度も登場している栄光の沼津餃子、北口亭は歩いてすぐ。ガード脇だからすぐわかるけれど、わかんなければ、通行人とっ捕まえて聞け。沼津人なら知ってるべ。

朝早く沼津着いたら迷わず港湾へ行くべし。漁師向けの朝食を食べさせてくれる食堂が開いている。

オゾン浴その2は、18日の土曜日に体験。長篇#4の「まぼろし」がよい。長篇#2の「クリミナル・ラヴァーズ」は15分で飽きた。その中間に見た「海を見る」は長篇でビューの直前に撮った50分もの。とりたててすぐれているわけではないが、マリナ・ドゥ・ヴァンのユニークな個性は「ホームドラマ」よりもこちらの方で際立っている。

さて「まぼろし」だが、これはシャーロット・ランプリングが主演しているばかりでなく、様々な意味で「スイミング・プール」と姉妹関係にある。まず、オープニング・ショットがこちらはセーヌの河の流れ。あちらはテームズの川の流れ。メインは、こちらが海辺の別荘で、あちらはプール付きの別荘。こちらは海でスイミング・トランクス一枚で死んだ男がシャーロットにとって好ましい男(夫)であり、あちらではプールでスイミング・トランクスを脱いでフェラチオをさせていた男がシャーロットにとって好ましい男で死人になる。さらに、エンディングは、こちら「海辺の幻想」対あちら「プールサイドの幻想」。幻想というよりは、正確に言えば、そこにあったであろう過ぎ去りし時の愛すべき人々の時間帯をヒロインが追体験する。ただし「まぼろし」では相手は彼女を見てくれず、寂寥の彼方へ走り去るヒロインだが、「スイミング・プール」では主人公がチャールス・ダンス演ずる男の目で女三人を見下ろしている。

それにしても「まぼろし」のすべての衣裳のアンサンブルは見事だった。

「ブロークバック・マウンテン」は悪い映画ではないが、凡作。「クラッシュ」よりも数等落ちる。いいのは「罪の意識」にイニスが嘔吐するくだりまで。後半は詰めの甘いシーンが目白押し。極め付けはヒースの老けの下手なこと。そのうちにじっくりと何が悪いか検証しておこう。


2006/03/15 (水)

オゾン浴。

先週末、オゾン浴をした。心も体も疲れているときにはこれが効く。18日の土曜日も、オゾン浴そのがあるから6時間頑張ってみよう。

ぼくのオゾン浴はプールサイドで始まった。

「スイミング・プール」だ。信頼すべき知人たちが褒めていたし劇場へ足を運ぶつもりでいた。LAで上映した時も、東京でも。なぜか外してしまったのは監督のフランソワ・オゾンがゲイを「売り物」にしているというイメージを持ってしまったためかもしれない。「ゲイの監督のゲイ趣味のミステリー=うーむ、趣味ではないな」の愚かな公式だ。

「スイミング・プール」は単純に傑作スリラーだ。シャーロット・ランプリングとリュディヴィーヌ・サニエという世代の違うふたりの女優が素晴らしい。フランソワ・オゾンの演出は死体処理のくだりでやや勿体無いはしょりがあるが、ディテール細かく繊細で、女の心と体のひだひだをエレガントに描き出す。

フランスの田園を舞台にした映画には、少ない登場人物が風を感じ緑を愛でる傑作が多いが、これはまさにその極め付けの一本。カンヌのコンペで受賞しなかったのは、明らかに審査委員長の偏見だ。そのリタリエーションとして、ヨーロッパ映画賞ではランプリングが主演女優賞を取っている。本当に、この作品でのランプリングは完璧な性を演じている。初老の人気ミステリー作家サラ・モートンの、英国的な、近づくものを拒絶し避けるものを求めるシニカルな性を。

完璧だから見ていて飽きない。コンピュータの電源を差し込む体の動きから田舎のカフェで木々を伝わる風と光りを浴びる表情まで、わくわくする。

そこに闖入するサニエの若い肉体と正しくセクシーな声質としっかりと相手を捕らえる眼差がこれまた完璧なケミストリーを醸し出す。

ぼくはサニエに一目惚れをする。彼女の「仕返し」のプランがあいまいなまま殺人につながってしまうところが「死体処理」とも絡むマイナス点だがこれには一応女たちの共闘という見事なオチがついていて、終盤の彼女の独白は泣かせる。これに応えるランプリングのアクションはテンポよくはしょって正解。

映像タッチは自然派で芝居もナチュラルだが、ところどころ入る幻想がいいスパイスになっている。

プールサイドの幻想は、三つ出て来るが、ふたつはそれぞれにオチというか、答が用意されていて、最後のひとつは、エピローグの味付けということもあって如何様にでも解釈できる。殊に、チャールス・ダンス演ずる出版社社長の娘ジュディをそこに配置したことは読み解くミステリーの提示につながる。それが、消化不良を起こす評価もあるようだが、ぼくは極く単純に解釈した。忘れなかったらオゾン浴その2のあとにでも書こう。「スイミング・プール」ファンはそれぞれの解釈をそれまでに書いてくれればいい。

シネフィル・イマジカで「スイミング・プール」が始まったのは夜の9時。それから6時間、ぼくはオゾン浴を続けた。

2本目は67分の短編集。この中にはぼくがヨーロッパの映画祭に招待された時見た短篇も含まれていた。フランスのヴァレンシエンヌだったかベルギーのブリュージュだったか、正確には思い出せないが、「黒い穴」だけは見た記憶がある。おフェラをしながら「ラ・マルセイエーズ」を歌う娼婦を買った男の話だ。60年代フィルム・ノワールの色調がしゃれていて(わかりやすく言えば「ブルー・ベルベット」みたいな)記憶に残っていた。

この94年から98年にかけてオゾンが発表した短篇を見ると、彼の資質がよくわかる。一言で言うなら、彼の真骨頂は「ベッドの上の真実」だ。ゲイであろうがなかろうが関係はない。彼はベッドの上で人間が見せる真実を描くことができる。故に、彼の主要な劇的空間は「寝室」。故に、演技は自然でリアルな饒舌。94年の「アクション・ヴェリテ」はふたりの少年とふたりの少女の「寝室」とおぼしき「だれかの子供部屋」での性への関心をクローズアップの会話だけで綴った秀作。4人の子供たちのキャスティングも表情も見事。もっとも感心したのは95年の短篇「小さな死」。これは、その後「黒い穴」の主役も務めたフランソワ・ディレイユ(?)がオゾンのアルターエゴを演じ、父の死と姉との対話を受け入れる。フランソワとボーイフレンドのベッドシーンからカミーユ・ジャピー演ずる姉の表情まで、ここでのオゾンは既に成熟した映画作家の矜持を見せている。28才のころの作品だ。

次に見たのが98年の長篇デビュー作「ホームドラマ」。こんな解説っぽい邦題をつけず、原題の「SITCOM」のままでいいと思うのだが、まあいい。ジェーン・キャンピオンの長篇デビューとも相通ずるブラックな家族のドラマ。色使いは誇張した原色系が多いが、芝居はナチュラルが基盤であることには変わりはない。配役はTVでよく知られたヴェテランを60前後の父と母に配し、彼らがフランスのTVで築き上げたであろうすべてのイメージを壊す役どころを演じさせている。このふたりの極めてコントロールされた名演と、本物の姉と弟を使った子供たちの組み合わせがところどころに凄みを出す。姉のマリア・デ・ヴァンはかなり個性派で、この作品だけではあまり魅力を感じないが、ライターであり監督であり、このころのオゾンにとっては「よき仲間」の感じはある。最後まで見続けたのは、やはり、ベッドの上のキッチュな真実にある程度の面白みがあったからと、それに続く本日のトリの一本を見たかったから。

トリは2000年度作品の「焼け石に水(が落ちる)」。ライナー・ウェルナー・ファスビンダーの若き日の戯曲を映画化したオゾンの長篇三作目だ。なぜ見たかったと言えば、4人の登場人物のひとりをリュディヴィーヌ・サニエが演じているから。が、サニエは終盤のアクト。まで出て来ない。それまでは、50代のバイセクシュアルなベルナール・ジロドーと、若い愛人マリック・ジディふたりだけの会話劇だ。これが、すごい。ランプリングとサニエの組み合わせに匹敵する組み合わせだ。ジディの初々しいゲイぶりも見事だが、ジロドーの、持つものの奢りも色気もすべてひっくるめたぎらつくおじさんゲイが圧巻だ。導入部からジロドーに見愡れた。

ぼくはファスビンダー作品を「勉強のため」70年代のロンドンやベルリンで見たが、どれも面白くはなかった。その後も、ファスビンダーという存在への興味はあっても惹かれる作品はない。が、オゾンの手にかかって、ファスビンダーの才気が生きた。殊に、アクト氓ニでの、誘惑の入口と出口の男性カップルの温度差は一言一言が見事だ。

結局、サニエは添え物でしかなかった。当時21か22のナイス・バディをおしげもなくさらして典型的なカワイコちゃんを熱演しているが役者としての魅力には乏しく、ここから三年で、よく「スイミング・プール」のジュリーになれたものだと感心した。


2006/03/11 (土)

メンタル・ブロック。

完璧に来ているね。マット・ディロンのこと、マット・ディモンって言ってしまうんだよね。以前にも一度あったと思う。人と話していてもそうなる。マット・ディロンという名前が俳優ではなくて「ガンスモーク」の役名に帰属している意識が強いんだろうなあ。

先日、ゴルフ・トゥデイの対談でメンタル・トレーニングのことを色々学んだばかりというのに。

さて、もうすぐ正式に告知されると思うけれど、4月15日に沼津で初のシネコンがオープンするのです。それに合わせて、「自由戀愛」を一週間上映し、日替わりで「KAMIKAZE TAXI」、「狗神」、「金融腐蝕列島・呪縛」などを上映するミニ・ハラダ・リトロスペクティヴを開催する予定。

さらに、このイベントに合わせて、7月上旬と8月下旬に1泊2日×2で開く我が脚本塾の詳細も発表することになる。自分のアイデアをきっちり面白く話すことのできる、いわゆるピッチのできる脚本家を育成する講座でもある。脚本書いたことがなくても原田映画の秘密を知りたい人から何かを書く意欲に燃えている人、プロの脚本家まで幅広く募集はかける。ただし、書類選考あり。教材のひとつとして使うある小説を読み、そのオープニング・シーンを書くこと、というのがそれ。この教材の作品は、沼津が舞台なので関係施設を廻る課外授業もカリキュラムに組み込み、シナハンの実際なども教える。空間をどういう風にイメージするかとか、ね。脚本塾というのは、教室で話を聞くだけではダメ。役者のワークショップに近い形式で動くし、喋ってもらう。


2006/03/09 (木)

特別な一日。

3月6日のアカデミー賞はわかりやすい受賞結果でずっと進んで最後の最後でビッグ・アップセット。と言われているが、実はこれ、現地では予想されていたらしい。というのも、大本命と言われていた「ブロークバック・マウンテン」が、各種の批評家主体の受賞総数でそういうイメージが膨らんでいただけで、俳優たちが投票するSAGの受賞結果は「クラッシュ」に軍配があがっていたのだ。アカデミー会員5800人強の中で、もっとも人数の多い職種とその関係者は俳優関係だと思う。このグループは当然、口コミも他のグループを圧倒している。

もうひとつの事実は、「ブロークバック」圧勝と言われている批評家たちの賞でも、それぞれのトップテンを見てみると、熱狂的に一位に据えているケースが極端に少なかったことだ。平均的に、好ましいと思われていた、という線なのだ。それで、作品賞に関しては、ノミネート5作品が僅差で争い、本命「ブロークバック」、対抗「クラッシュ」のムードはあったらしい。

ぼくはまだ「ブロークバック」を見ていないから、表層的な比較しかできないが、要は、「クラッシュ」の描いている世界は、身近で切実なレイシャル・コンフリクトであり、「ブロークバック」は、遠い世界のゲイ・カウボーイという違いがすべてなのだろう。

「クラッシュ」は作品の完成度はそれほど高くはない。しかし、志しが高く、パワーがある。アンサンブルのキャストはマット・デイモン、テレンス・ハワードが圧倒的にうまいし、深みのある役だ。それに比べて、サンドラ・ブロックとブレンダン・フレイジャーが凡庸。役もつまらない。70年代の「ウェルカム・トゥ・LA」に似て、グレーター・ロサンゼルスを十人内外のキャラだけで見せちゃう話だから寓話の世界だ。同ジャンルでの秀作は「ショート・カット」である。「ブギー・ナイツ」を入れてもいい。その2本を愛したようには「クラッシュ」を愛せなかった。悪くはないが、誇張がきつい部分が多々ある。

生きるか死ぬかの時に「オー、ノー、ノット・ユー」という台詞はありえない。演出がまだ幼い。寓話であってもリアルな感情が真骨頂なのにここでぼくは作品に背を向けた。イラン人親父も騒ぎ過ぎ。ブロックも騒ぎ過ぎ。しかも、彼女のリデンプションはとってつけたように安っぽい。ただし、それもこれも含めて、ポール・ハギスの知性は、これからのハリウッドの品格であるべきだと思う。

そう考えると、「グッドナイト&グッドラック」に与えた方がぼくとしてはすっきりしたのだが、まあ、いい。

ジョージ・クルーニーは「GN&GL」では何も受賞できずに「シリアナ」で助演男優賞を取った。しかし、昨年度のハリウッドで最高の品格を世に示したのは彼なのである。作品としたら「シリアナ」は「クラッシュ」の数倍すぐれている。しかし、世界が、ハリウッド人種の総体には大き過ぎた。そこをぐっと縮めた「クラッシュ」が、彼らには丁度よかったということである。

ショーとしては、ジョン・スチュア−ト紹介に至るギャグが豪華なキャストで最高に面白かった。「ブロークバック」に絡めた西部劇における「うふんあはん」の男たちクリップには笑い転げた。それにしても、毎年感ずることだが、中継合間のCMが見られないのが残念でならない。

オスカー・テレキャストで元気づけられたぼくは、コンピュータに向かい、夜中過ぎまで創作作業に没頭した。そして、七年前に書き始めた小説を、ついに脱稿した。

最後の拍車、という表現は日本語としてはデッドになってしまったかもしれない。が、この最後の拍車がかかった状態で、ぼくはエピローグを一気に書き上げた。この小説を自分で脚色し、監督したらアカデミー賞のステージにたどりつけるのだという夢を見ることができた。エピローグには、特別賞受賞が噂されながら今年も見送られてしまったリチャード・ウィドマークを意識した人物が登場し、主人公たちに戦いの知恵を授けるのだ。

ほんの数時間だけど、文学の神様がぼくのところにも降りて来たのだと感じた。

授賞式に戻るなら、アン・リーのアジア人として初の監督賞受賞は刺激的で、素晴らしい出来事だった。後は、作品が自分の好みであることを祈るばかりだ。


2006/03/01 (水)

スピリチュアル・イヴェント。

と申しましても神憑かりのイヴェントではございません。ジェット・リー&中村獅童主演映画「スピリット」にまつわる公式行事でございます。2月27日の国際フォーラムにての完成披露および28日の記者会見、すべて終了いたしました。27日の夜には我が社の関係者も多数参集いただき、ありがとうございました。招待席が用意できなかったにも関わらず、最後まで気持ちよく観賞していただき感謝しております。場所を丸の内サイドの「PCM」に移しての二次会的交歓会にも三十名近い出席があり、大変愉しい夜となりました。お花もプレゼントもいっぱいいただきました。今も、花の匂いに包まれてこのお礼文を書いております。次回は是非、我が監督作品で、こういった愉しい会を催すことができたらと念じております。

次回作に関しては再び新たな難関が生じ、何をいつどういう形でやることができるのか、2月中には目処がつきませんでした。年頭の「今年は2本撮る」という誓いも、当初の予定であった3月クランクインの線が完璧に崩れた以上、下方修正しなければなりません。状況の厳しさは昨年来変わっていませんが、希望の芽は継続しているものもあり、また新たに生まれたものもあります。7年抱えて来た小説もようやく終盤に来ております。3月は、新たなスタートの月であることを確信しております。その意味で、「PCM」での一夜は、新たなる出発の前夜祭であったのではないか、とも思います。お疲れさまでした。


 a-Nikki 1.02