2006/07/07 (金) 黒澤明VS黒澤明。
■過日、某大プロデューサーと打ち合わせをした時に「黒澤明VS.ハリウッド」の話が出た。業界で現在話題になっている一冊だという。「トラ・トラ・トラ!」製作時の黒澤監督解任をめぐるノンフィクションである。面白いよお、と大プロデューサー。迂闊にもぼくはこの本のことを知らなかった。著者は田草川(たそがわ)弘さん。文藝春秋社から4月末に出版された。早速、購入。読み始めたら止まらない。ここのところ脚本の仕事で様々な資料を読み込んでおり速読のペースは上がっている。それでもハードカヴァーで500ページ近い大冊を読み切るのに7時間を要した。
夕食前に1時間。そのあとW杯準決勝フランス対ポルトガル戦までの6時間をフルに使った。厳密には、読了は午前4時20分。ゲームに20分食い込んでしまったが例えW杯準決勝といえど、終盤で中断するわけにはいかなかった。読了してのちも、大きな大きな余韻に浸っていた。ゲームを目で追いながら心は「トラ・トラ・トラ!」に関わった人すべての無念とともにあった。正直、フランス対ポルトガルの一戦は期待したほど面白いゲームではなかった。ドイツ対イタリアの延長戦後半最後の5分の攻防を見てしまったものには、極めて単調なゲームに見えた。
■「黒澤明VS.ハリウッド」は黒澤明に関する数多の著作の中で最も重要な一冊だ。映画に関するノンフィクションの中で歴代ベスト10に入るであろう名著と言ってもいい。取材エリアも構想も壮大。著者本人の40年に及ぶ「事件との関わり」が底流にある。「山田洋次」を「山田洋二」などと誤記しているのが実に不思議な、超一級の読み物である。黒澤監督を筆頭にエルモ・ウィリアムス、ダリル・F・ザナックといったカラフルな主役は極めて適確に描写されている。「壊れ行く」クロサワの描写は胸をつかれ、終盤の検証は息をつぐ暇もない。黒澤明監督への敬意をいささかも損なわずにその「醜態」をジャーナリスティックな眼差で書き連ねていく筆致は、エド・マロー研究者の著者にしかできない離れ業だ。「虎 虎 虎」に於ける黒澤明の映画史上最大の失敗を誠意を込めて、渾身の力で描き出した労作である。
1965年から69年にかけて何が黒澤明に起こったのかを知ることは次の世代の映画人にとって必要なことなのだ、とぼく自身黒澤監督に告げたことがある。「八月の狂詩曲」が出来上がったころの話だ。「黒澤明語る」(福武書店)を書いていたころでもある。その時黒澤監督がなんと答えたか、そのうちに、だったか、まだだめだ、だったかはっきりとは思い出せない。もういい、ではなかったことは確かだ。鷹揚なゆとりの笑顔は憶えている。その時のぼくの気持ちへの答えがこの一冊にある。
真珠湾奇襲攻撃の日をA DAY OF INFAMYと呼ぶならば黒澤明の60年代後半はYEARS OF INFAMYだろう。「暴走機関車」製作延期から「トラ・トラ・トラ!」監督解任に至る「失意」の時代だ。そのどちらのケースも、ハリウッドに悪役を求めるのはむずかしい。この本を読んで、それはより明確になった。
■「暴走機関車」の場合、ぼくは日本語稿、英語翻訳稿、シドニー・キャロルの改訂稿すべてを読み比べて、アメリカ側に落ち度がなかったことは二十年も前から理解している。つまり、クロサワの意を組んだプロダクションの流れだ。問題はアメリカ人の物語を黒澤明が日本語の脚本で立ち上げたところから派生している。その日本語稿のポイントを最大限に生かした英語稿がシドニー・キャロルのものだった。キャロル自身のアイデアが走り過ぎたところも無論ある。が、そこは監督として参加してのち充分修正できる要素だったし、それだけの敬意を、レヴィンもキャロルも黒澤明に払っていた。そこを黒澤監督は読み違えた。キャロル稿への黒澤明のリアクションは、極論すれば、ハル・ノートを受け取った時の日本政府のリアクションに近い。つまり、「最後通牒だ。開戦やむなし」の気運である。(実際にはハル・ノートというのはアメリカ側の論点に立てば「最後通牒」ではなかった。事実上の最後通牒という解釈ではあっても、アメリカ側は交渉の余地を残さざるをえない事情があった)
■最終的にジョセフ・E・レヴィンがゴーを出したシドニー・キャロル稿はオリジナルの味を損なわず卓越の「リンス」を利かせた見事な脚本だった。カメラのハスケル・ウェクスラーを始め、当時一流のスタッフがクロサワとの仕事を心待ちにしていたのに・・・。
この一作がキーだったとぼくは思っている。ここでハリウッドにコミットするのを迷うならハリウッドには行かない方がいい。
黒澤明は天皇であった時代があまりに長過ぎたので、不偏不党の精神がほころび始めていたのだろう。「暴走機関車」が監督の、理不尽とも思える製作延期要求で潰えたあともたらされた「トラ・トラ・トラ!」ではその部分がもっとモンスタラスに膨れ上がった。映画監督が国を背負って立ってしまった。今度こそアメリカの要求に屈するわけにはいかないーーー。
その「開戦」の局面を打破し、「和平」に持ち込んだのはダリル・ザナックであったことを、ぼくは「黒澤明VSハリウッド」で初めて納得できた。ザナックとクロサワの間にあった信頼関係は本物だ。だから、「トラ・トラ・トラ!」がクランクインまで至った時、ザナックも、彼の片腕であった本物の、オールラウンドのプロデューサーであるエルモ・ウィリアムスも、勝利を手中にしたと思ったのだ。それを壊したのは、またも「もうひとりの黒澤明」だった。悲劇は、すべて黒澤明の「闇の奥」からやって来る。これはそのうちに研究論文にでもするつもりだからここでは触れない。
■話を「暴走機関車」に戻そう。
黒澤監督は、キャロルの脚本がいいものだとしたら自分がそれを「いい脚本」だと納得できる時間が欲しかったのだと思う。すべてのお膳立てが整っているのに「未だ踏ん切りがつかないから時間をくれ」というのが「暴走機関車」製作延期の単純な総括だ。意地とメンツと明治の気骨といったものがアメリカの決めた土俵に乗るのをためらわせることは理解できないでもない。訴訟社会のアメリカで訴訟に発展しなかったのは、それだけ関係者がクロサワの才能に惚れていた、つまりボナンザ(金の鉱脈)だ、と確信していたからに違いない。このあたりの黒澤明の「駆け引き」は「七人の侍」で東宝相手に仕掛けた「背水の陣」と似ている。ただし、あれは「作る」ための駆け引きであったのに対して、これは「作らぬ」ための駆け引きだ。明らかに臆病になっている。
もっと単純なことを言えば、クロサワは「暴走機関車」でイエローカードをもらった。二枚目が出たらハリウッド進出の道は断たれる、と黒澤プロの重役たちが危機感を持ったことは充分考えられる。話は「トラ・トラ・トラ!」の有名な契約問題に飛ぶ。プロデューサーの青柳哲郎が最後の最後まで黒澤監督に契約内容を伝えなかったのはそういう背景があると、ぼくは解釈している。青柳プロデューサーはだれにも増して「黒澤ファン」であったということを、この本を読んだ後、ぼくは認識した。彼もまた、「暴走機関車」の黒澤の「戦略的後退」となる「駆け引き」を心底もったいないと思ったひとりだと、今は確信している。
■手の届くところまで来ている黒澤明のハリウッド、いや世界進出をなんとしてでも成功させたい。そこへ舞い込んだエルモからのオファー。契約条項を読めば、黒澤が「総監督」ではないし、作品の最終編集権もないことは明確に謳ってある。が、話が煮詰まるうちにエルモやザナックのクロサワへの敬意もわかってきた。クロさんには契約書を見せない方がいい、と判断したのは青柳ばかりではなく菊島隆三も同じだったのではないか。ぼくがそこにいても同じことをやったと思う。
黒澤明のジャッジメントは「論理」ではない。何しろ共同監督であるリチャード・フライシャーへの嫌悪感を「ミクロの決死圏」一本で決定づけてしまうような「感覚の人」なのだ。
体内を特殊潜航艇で這い回ってミッションを達成する気色の悪いSF冒険映画を撮った「ミクロ野郎」というわけだ。(これは、ぼくも聞いた。晩年になっても黒澤さんは、あんな気味の悪い映画はないよ、と作品とその監督への嫌悪感を口にした)そのフライシャーとクロサワが契約では同格なのだ。アメリカ公開版のクレジットでは、クロサワが格下として扱われる。契約書を見せれば、そこで「辞めた」となることは、黒澤を知るすべての人間が読めた。
青柳も菊島も、黒澤プロの重役はすべて「トラ・トラ・トラ!」を実現するために動いた。それが優先順位のトップ。
脚本作りのプロセスでザナックが示した最大限の譲歩は驚異的である。なんとかなる、と日本側が踏んだとしても間違いではない。黒澤明と映画を作ることは賭けなのだ。真珠湾奇襲攻撃以上の賭けなのだ。
■そのザナックの譲歩はさすがに、黒澤明にも伝わった。だから、彼はザナックをべたぼめする。伝わらなかったのはエルモの誠意だ、と著者は見る。そして、著者が指摘する最大の問題は、黒澤が素人の俳優、黒澤が言うところの「社会人俳優」を日本側キャストのメインに据えてしまったことだ。ぼくが見る限り、黒澤の奇行のすべても、このキャスティングに端を発している。ザナックもエルモも、素人で日本側配役の中枢を固めることに懸念を示した。しかし、最後はクロサワの判断に委ねた。そして、黒澤明はクランクインして初めて、自分が重大なミスを犯したことに気付いたのだと思う。
黒澤明は「虎 虎 虎」で、山本五十六をプロタゴニストとする壮大なギリシャ悲劇を描こうとイメージした。ザナックは「史上最大の作戦」のような手法で日米を均等に描く「真珠湾」のタペストリーを狙った。その最大の落差はオープニングに山本五十六が聯合艦隊司令官として赴任したときの登舷礼を描くかどうかという一点に集約された。本の第三章第三節にある「登舷礼のフーガ」がそれだ。この攻防に黒澤が勝った。映画人ならだれもが、この局面で、「トラ・トラ・トラ!」が黒澤作品になるであろうことを予測できた。それほど重大な勝利であった。この勝利が「総監督の幻想」を黒澤にもたらせたことも事実である。
■黒澤明が英語による契約条項を読んでいなかったのは確かだが、ぼくは、黒澤監督自身、クランクインの前に「総監督ではない」ことを知っていたと思う。これだけ長丁場の準備期間で、知らないでいることの方に無理がある。感覚として、監督にはわかるものなのだ。契約を読まなかったというのは、怖かったからという解釈もできる。読めば、自分が怒ることを止めることはできない。読まなければ、知れなければ、我慢して持ちこたえ、こうやってオープニングを意のままにしたように思う通りに進める日が来る。
こういう監督心理は不思議ではない。そして、こういう監督の思考法は外には出ない。だから、アメリカ側のB班が監督した空母赤城からの発着シーンに関して、自分が「総監督」として撮り直すつもりでいたし、そのための戦闘をエルモやザナックと交えなければならないこともわかっていた。それはそれで大きな問題だが、京都太秦の東映撮影所でクランクインしてみると、もっと大きな「今、そこにある危機」が明らかになった。
シロウトはシロウトでしかない。
山本五十六を演ずる高千穂交易社長の鍵谷武雄氏は写真で見る限り軍服の似合う紳士である。だが、「七人の侍」で志村喬が演じた勘兵衛の剽軽な側面となると勝負権はない。黒澤監督が勘兵衛を描くにあたって山本五十六のキャラクターを借りて来たのはほぼ間違いないと思っている。陽の目をみなかったある企画で「七人の侍」脚本チームの重鎮である小国英雄さんと京都の旅館で脚本打ち合わせをしていた時に、雑談でそんな話も出た。
「トラ・トラ・トラ!」のオリジナル脚本に於ける山本五十六の描写を読む限り、ぼくのイメージは若いころの志村喬だ。それほど、志村は山本提督に似ていたし、実際の山本の、逆立ちエンターテイナーといった側面は勘兵衛のユーモアがぴったりと合っていた。つまり、キャリアを積み上げた役者が出会うライフワークとしての役どころである。鍵谷氏には無理だ。配役自体が大博打だ。
■しかし、史実の山本は真珠湾という大博打を打ったではないか。自分は山本と同じ博打を打つ権利も義務もある、と黒澤監督が思ったかどうかはわからない。が、それと似たりよったりの壮大な過信はあったと思う。なにしろ、この時の彼は製作発表記者会見でも明らかなように、国を背負っていたのだから。
黒澤明は、天皇であり、山本五十六であったのかもしれない。人によっては無謀な開戦へと陣頭に立って進んだ東条英機に映るかもしれない。
シロウトの俳優を山本五十六に見せるために、黒澤監督の選んだ方法論は山本五十六=勘兵衛を囲む個性的な参謀=六人の侍を「本物」で固めたことだ。本物の海軍士官である。ガンジーと呼ばれた奇人黒島亀人にまでシロウトを持って来るのは狂気の沙汰だったが、黒澤明はそこに固執した。そして、その「社会人集団」が自分のイメージ通りに動かないとわかると、セットはおろか、撮影所すべてを「軍艦」にして自らのスタッフ・キャストに「戦時体制」を強いた。さらに当時、同じ撮影所で作られていたやくざ映画の関係者にも、同じことを望んだ。それは監督という名の狂気だ。不偏不党の映画屋がもっとも嫌悪する全体主義の不粋だ。嘲笑の的になる。すると反動で意固地になる。
こんな単純な会話シーンでシロウトが機能しないとしたら、翌月に控えた壮大な長門のオープンセットでのモブシーンはどうなるのだ。自分が秘かに画策しているアメリカ側B班のアクション撮影はどうなるのだ・・・。
■ぼくは心底、エルモに同情した。しかし、エルモの場合はまだいい。ダリル・ザナックのキャリアを見ればわかることだが、彼は「トラ・トラ・トラ!」を最後に失意のうちにキャリアを終えた。クロサワを最後まで信じ支持した報いが、これなのだ。これは黒澤明が産んだ最大級の悲劇のひとつであると思う。
黒澤明監督へのぼくの敬意にいささかの揺るぎもない。が、彼は「トラ・トラ・トラ!」の配役で致命的なミスを犯し、意地になってそれを否定した。神経衰弱は一過性のものだった。現場から離れ、三、四週間経っただけで「正常」に戻る。どだい人間はだれもがどこかに「異常」を抱えている。黒澤監督は「トラ・トラ・トラ!」の現場で狂人になってしまったわけではない。映画監督の狂気をぶちまけてしまっただけなのだ・・・。解任一ヶ月後に開かれた記者会見での黒澤明による「社会人俳優」の弁護は三船敏郎をはじめとする多くの「職業俳優」を冒涜するものだった。黒澤明は多分、一度として潔かったためしはないのではないか。この記者会見での、彼の「社会人俳優絶賛」は大失敗作「白痴」の異常なまでの弁護と似ている。
真珠湾を奇襲した時、山本五十六は五十七才だった。黒澤明が「トラ・トラ・トラ!」で敗戦した時、五十七才だった。そして、以後四十年の間に真珠湾攻撃と開戦にまつわる書籍が日米で随分と出版されている。資料も分析も、六十年代とは比べものにならないほど良質だ。ぼくは今、五十七才で、真珠湾の日はいかに映画化されるべきか思いをめぐらしている。
山本五十六は個人的に尊敬する大変魅力的な人物だが、彼を主役にしては真珠湾を語ることはできない。最も魅力的な傍役で充分なのだ。山本五十六にとって重要なのは、彼と堀悌吉の訣別の会話をきっちりと映画に組み込めるかどうかなのである。登舷礼ではない。
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