2008/02/24 (日)

21番から31番。

(21)の「アルジェの戦い」は政治映画の頂点を極めた一本だが、今、生涯のトップ10を選ぶとトップ3には入らないかもしれない。しかし、民族解放戦線の闘争はいささかも古びてはいない。洗練された植民地主義者の象徴たるフレンチ・パラトルーパーズとNLFの対立の力学を人類は世界のいたるところで繰り返している。欠けているのはジッロ・ポンテコルヴォやフランコ・ソリナスの知性とパッションだ。

(22)改めて確信した。生涯トップ10にランキング入りすることは確実。今まで2、3回見ていずれも感動しているが、今回はすべての点で圧倒された。リーンのベストが「ロレンス」ならばスピールバーグのベストはこれ。プロ・イスラエルという政治性を云々して批判するやつは映画ファンではない。20世紀映像芸術の頂点が人間の愚行と崇高を語った点に着目しよう。

(23)廉価版のためメインタイトルが欠けていた。これからはこのシリーズを買わない。字幕でも問題あり。モーリン・オハラは「アンハード」ではなく「アンハラド」と表記すべき。イアントが何をしていたと聞かれ「私用だ」と答える字幕には笑った。この場合のモmineモという答は「鉱山」の意味だ。炭鉱の話で労働問題に携わっている男がなんで「私用」と言うのか。徹夜のやっつけ翻訳で集中力が欠けていた?いずれにせよチェック機能ができていない。古くなればなるほど価値が増す名画。ドナルド・クリスプとサラ・オールグッドのカップルは映画史上最強のパー&マー。サラと「怒りの葡萄」のジェーン・ダーウェルは映画史上最強最大の肝っ玉かあさん。通しで見るのは三十数年ぶりながらプロット、ロケーション、演技のテンポすべてを堪能した。

(24)ボギーの魅力のみで成立している娯楽映画。名画としてではなくハリウッド・システムを代表する一本として偉大なる100本に選出されていることを忘れてはならない。正直、作品としては凡作だ。殊に前半がお粗末。主要登場人物はすべて登場前に噂話で解説。二流の戯曲の手法。後半、大混乱の現場で応急処置された行き当たりばったりの脚本が逆にボギーの個性を引き立たせた。イングリッド・バーグマンが、この作品のことを褒められるたびに怪訝な表情を浮かべた、という娘の証言はよくわかる。それはむしろ控えめな表現で、バーグマンがこの混乱の現場を軽蔑していたことは紛れもない。それも含めて、ハリウッド・システムが産んだ伝説を映画ファンは称えている。

日本では、"Here's looking at you kid""Round up the usual suspect!"といった名台詞が誤訳されている。さすがに後者の「犯人を探せ」という一言が名台詞だと思っている映画ファンはいないようだが、前者の「君の瞳に乾杯」にはファンが多い。おそろしいことだ。こんなキザな台詞を言わないからリックは魅力があるというのに。英語のニュアンスは腕白坊主相手に「おまえから目を離さないぞ」といった意味が強いんじゃないか。確かに日本語にするのはむずかしい。が、絶対的に「君の瞳」ではないし「乾杯」とも違う。

Here's to you.と言ったら乾杯の発声に使われるが「乾杯」という意味ではない。日本語でも「乾杯」の一語を使わず「君のために」などと言って献杯する。Toastではないのだから「乾杯」という短い単語に逃げてはいけない。さらにチープ・キザにもならずにリックの気持ちを表現しなければならない。なにせ、三回も使われるキーワードだから。おれの感覚では「眺めさせてもらうよ、キッド」。

後者はやはり三回使われる。一度目は警察放送。徐々に変型して最後にクロード・レインズの名台詞となる。「いつもの容疑者を狩り集めろ」だ。字数は「犯人を探せ」の倍以上だが十分読める。無論、ブライアン・シンガーの出世作のタイトルもこのときの「ユージュアル・サスペクツ」から来ている。さらに監督表記の「カーティス」も誤り。トニー・カーティスのCurtisとは違う。こちらはブダペスト生まれのCurtizでアクセントも発音も異なる。ゆえに表記はマイケル・カーティーズが正解。オリジナルの感覚を大事にしようよ。

(25)特典のヴォリュームは嬉しいかぎりだがとんでもない字幕もあり。「ニコラス・ロージェ」という字幕が出る。著名作曲家の話をしているくだりだ。発音はちゃんと「ミクロス・ロージャ」。つまり日本では「ミクロス・ローザ」と呼ばれる「ベン・ハー」などの著名作曲家のことなのだ。ミクロスも知らずに翻訳したのかい?同じ特典映像でUCLAの「ライス・ホール」というのも出て来る。耳が悪いね。「ロイス・ホール」なんだよね。

(26)でもとんでもない字幕が多かった。妙な疑問型が出て来るんだね。

(27)これも年月を感じさせない。マチューの監督作ではダントツにベスト。ヴァンサンの演技もこれがベストじゃないか。三人組のナチュラルな芝居は今見てもほれぼれする。ある意味で「バウンス」の原型といってもいいかもしれない。「栄光と狂気」準備中のモントリオールの映画館で見て、強烈なノックアウト・パンチを食らった憶えがある。改めて刺激を受けて、おれもこのときのマチューと同じ「なんとかしなければ」のエモーションで作りたい映画があることを思い出した。日本に於ける「暴動」と「若者の純粋/共闘」の話なんだけどね。

(28)リチャード・シッケル以下みんなサム・フラーが大好きでリコンストラクション・エディションを作ったことはよくわかる。おれも長尺版を熱望していた。サムから何度もその話を聞いていたし。しかしこうやっていざ3時間の「ビッグ・レッド・ワン」を目にするとーーー。困った。特典でサマンサが父親のようにシガーをくゆらせているバカさ加減にも困った。なんだか、絶対的にカバレージの足りない自分自身の昔の作品を見せられているようでいたたまれない気分がした。名場面も無論ある。が、リコンストラクトされた部分に名場面はない。作品としてでなく、サムの足跡を見る、という意味では価値のあるDVDだ。冷静に見るとリー・マーヴィンの存在以外、キャラクターというものが機能していない。マーク・ハミルのグリフのサイコは掘り下げが利いていない。ボブ・キャラディン(何度も言うがキャラダインではない)のザブはタイプとしては正解だが、のびのびとしたボキャブラリーに欠けている。ケリー・ウォードにも魅力はない。ボビー・ディチッコが巧さを感じさせるが芝居やアクションの演出に間があって、それがそのままサムの「老化」を画面に定着させている。今、サムの覇気に打たれるとしたら「東京暗黒街・竹の家」、「拾った女」、「赤い矢」、「ショック集団」、「裸のキッス」といった50年代から60年代初期の作品の部分にしか残っていないのではないか。

(29)この特典の充実度に目を見張った。まぎれもないイーストウッドの最高傑作。現場の映像もある貴重な記録だ。多少値段が張っても購入する価値はある。トレジャー。ジェム。

(30)このスペシャル・エディションもメニュー画面から凝りに凝っていて珠玉のDVD。作品をきちんと見るのは二度目。最初は、LAカウンティ・ミュージアムあたりの大画面で見たのだが、正直、ワイルダー作品の中でも好きな一本ではなかった。死人を語り手にするというギミックが嫌だった。奇手のための奇手。上品ではない、と思った。それから三十有余年経ち、グロリア・スワンソン演ずるノーマ・デズモンドの年令を追い越して、それなりのプロの自覚を持ち再見するとーーー。

文句なしに圧倒された。心から感動した。何度も感激の涙をこぼした。今に繋がるハリウッドの人間模様も見事だが、究極の世代交代のドラマがここにはある。老いと若さ。栄光と挫折。夢と現実。持つものと持たざるもの。死とシニシズム。若いときにはこの映画の卓越した構成と完璧なキャスティングに気付かなかった。グロリア・スワンソンは醜悪ではなく、愛おしきフォールン・エンジェルだ。彼女の謙虚な人柄がこの役を映画史に残る神座に押し上げたことが特典映像からもわかる。ビル・ホールデンも完璧。エリッヒ・フォン・シュトロハイムとセシル・B・デミルは、監督としてよりも、マックスとデミル本人という「役」を演ずるためにハリウッドを生きたプロだとおれは確信する。とにかくノーマがパラマウントにデミルを訪れるシークェンスは限りなく美しい。ナンシー・オルスンの純な輝きもスワンソンと見事なコントラストを奏でる。間違いなくビリー・ワイルダーの最高傑作だし、おれの生涯トップ10でも上位に進出することは間違いない。

(31)何度見ても笑い転げる。特に今回は十年ぶりなので死ぬ程笑った。スクルーボール・コメディを若い世代に切に楽しんでもらいたいと思う。ケイリー・グラントとキャサリン・ヘップバーンのケミストリーの味わい自体が名画だ。プロとは経験則を哲学に高めるものたちであり、この作品に於けるハワード・ホークスは道を極めた哲学者である。

ここ数日、イージス艦が清徳丸をまっぷたつに切り裂いた事件から目が離せない。漁民の突き上げがあって渋々と情報を開示する防衛省と海自のやり方に苛立ちをつのらせているのはおればかりではないだろう。このやり方は「クライマーズ・ハイ」リサーチの時に感じた「割り切れぬ思い」にも通ずる。

イージス艦に関しての絶対的な事実は、自衛隊がらみの事故に関して、メディアが真実から遠ざけられているということ。メディアが遠ざけられているから当然、我々にも真実は伝わらない。

日航機が御巣鷹山に墜落したとき、その5分後に米軍のヘリが墜落現場に到達し救助活動を開始しようとしていた。が、上からの命令で救助は中断。米軍ヘリは現場から離れた。これは1985年の事故から十年後に明らかにされた。問題なのは墜落から5分後にこうやって現場が特定された事実があるのに、政府は現場が特定できないとして事故から十時間、墜落現場周辺に救助隊もメディアも入れないようにしたことだ。

上野村では数々の目撃証言から墜落現場はスゲノ沢しかないと、地元消防団が主張していたにも関わらず、県警は救助隊の動きを封じた。それが無理だとわかると明らかに方向違いの小倉山へ救助隊を派遣した。そのときの上野村消防団員たちの怒りは活字で読んだり話に聞いただけだが、川津漁港の人々の怒りの声と似ているようにも思う。

日航機墜落事故の現場が特定できないというその夜の情報は自衛隊から出されている。メディアはおろか救助隊すら真実から遠ざけようとした行為としか思えない。

イージス艦の事故を見るかぎり、自衛隊は海上にしろ陸上にしろ、自分たちの組織が絡む事件に関しては早急に真実を明かそうとはしない。ということから推理すると日航機墜落事故は自衛隊が絡む事件であったと考えるのが自然だ。

自分たちが関係していなければ米軍ヘリの救出活動を中止させることもなかっただろうし、救助隊やメディアを現場から遠ざける必要もなかった。

あの日、無人探査機を標的に仕立てた海自の訓練が相模湾で行われていた事実はある。それが墜落事故に関係しているのではないかという説もある。興味ある向きはネットでチェックすればそういった書籍はすぐにわかる。イージス艦事故の対処を見る限り、それらの書籍が主張する無人探査機(4メートルほどの長さ)が日航機123便にぶつかったという説が真実に思える。

もしそうであるならば、靖国神社参拝が重くのしかかる。

当時の中曽根首相が戦後初めての首相による靖国神社参拝を8月15日に控えていたのだ。自衛隊がらみの不祥事は絶対的にあってはならないことだった。人命にかかわる不祥事を起こしたとしたら、どんな手段を用いても隠ぺいしなければならない「国家の大事」であったに違いない。

ひょとすると、そのときの訓練に参加した隊員が今度の事故でも関係しているかもしれない。上級のポジションで。そういう可能性も含めて、今度の事件はメディアには徹底的に追求してもらいたい「国民の大事」である。


2008/02/23 (土)

Return of Flickmania.

プラズマだよ、プラズマ。液晶じゃなくて。ホーム・シアター。カミサンから怒られた。とにかくDVDにひたりっぱなし。脚本数ページ進んだと思うと10号棟の「試写室兼会議室」で映画見ちゃう。特典映像の濃いのがついているともうダメ。間違い勘違いの字幕があってもなんでもおれのフリックメニア魂に火がついてしまった。ゴルフ行くよりも美人を鑑賞するよりもクラシックの映像を学習している方がいい。

雪が悪い。寒くてどこへも行く気がしなくなるとついアマゾンで我が名作リストの何本か購入してしまう。寒風吹き荒ぶ佃に居住していると余計そうなる。いやいや。このDVD三昧の口きりはカミサンが借りて来た「ボルベール」と「プロヴァンスの贈り物」と「あるスキャンダルの覚え書き」のせいだ。3本ともじっくり見た。しみじみつまらなかった。

「ボ」はアルモドヴァルのキャリアが下降しはじめたことを感じさせる駄作。ペネロピがいくらアンナ・マニャーニをやろうがダメなものはダメ。要はアルモドヴァルのタッチがスリラー、ミステリー、サスペンスにはむいていないということ。初期のアルモドヴァル作品はそのエリアに踏み込むものほど完成度が低かった。殺した旦那の始末をしようってときに撮影隊のケイタリングを引き受けちゃうなんて「なんで?」。妹が姉に殺人のことを話さず赤の他人に死体の始末を協力させるのも「なんで?」。姉が妹に母親のことを話さないのも「なんで?」。こういった「なんで?」が全編を通して1ダースくらいあってやっと長篇の尺になっている。そう。話がつながらないから過去の自作のエピソードやら役者やらテーマやら次々切り貼りしているだけ。「オール・アバウト・マイ・マザー」、「トーク・トゥ・ハー」の生命力にあふれた登場人物が醸し出す人生の意外なトゥイストがここにはない。

「プ」は以前にも触れた。ラッセル・クロウにロマ・コメ無理。リド・スコにロマ・コメもコメ・コメも無理。マリオン・コティアールを筆頭にしたフランス軍はそれなりに存在感を出せたけれど、イギリス軍はアルバート・フィニーも含めてひどかった。フィニーの娘役のドシロウトはなんだ?発声もろくにできない女優にリド・スコが惚れたのか????

「あ」はケイト・ブランシェットとジュディ・ディンチが好演しようがなにしようが「子供の時間」には程遠い幼稚で不愉快なスキャンダル。登場人物全員がうす汚い。ホンがひどい。ディンチの解説ナレーションは時代錯誤。で。ここから一気にクラシックに走ってしまうのだ。

1月下旬から本日まで三週間で見た映像群はこうなる。
1/「冒険者たち」スペシャル・エディション特典映像(贈呈DVD)
2/「脱出」本編&特典(購入DVD)
3/「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」(レンタル)
4/「ラスト・キング・オブ・スコットランド」本編&特典(購入DVD)
5/「テンジンとパルキット」(BSドキュメンタリー)
6/「ジェシー・ジェームスの暗殺」(劇場)
7/「完全犯罪」(BS)
8/「ワイルド・バンチ」特典
9/「大いなる勇者」本編&特典(購入DVD)
10/「真夜中のカウボーイ」本編&特典映像(購入DVD)
11/「コールガール」(購入DVD)
12/「麦の穂に揺れる風」本編&特典(購入DVD)
13/「バートン・フィンク」(購入DVD)
14/「アメリカン・ギャングスター」(劇場)
15/「黄金」(購入DVD)
16/「アフリカの女王」(購入DVD)
17/「バウンスkoGALS」(贈呈DVD)
18/「赤い河」(購入DVD)
19/「それでもボクはやってない」(劇場)
20/「アラビアのロレンス」本編と特典(購入DVD)
21/「アルジェの戦い」(購入DVD)
22/「シンドラーのリスト」本編&特典(購入DVD)
23/「わが谷は緑なりき」(購入DVD)
24/「カサブランカ」本編&特典(購入DVD)
25/「捜索者」本編&特典(購入DVD)
26/「捜索者」(P・ボグダノヴィッチのコメンタリー)
27/「憎しみ」本編&特典(購入DVD)
28/「最前線物語」リコンストラクション本編&特典(購入DVD)
29/「ミリオンダラー・ベイビー」3ディスク・エディション特典(購入DVD)
30/「サンセット大通り」本編と特典(購入DVD)
31/「赤ちゃん教育」(購入DVD)

3、4、5、6、7、12、14、19が初めて見た作品。それ以外の本編は2度目から50度目まで様々。前回見たときよりも失望したのは11と24と28だけ。

(1)はジョアンナ・シムカスの貫禄あるエレガンスに感動。60代の彼女へのインタビューと本編映像のカットバックに涙。
(2)ホークス演出の巧さに痺れる。何度見てもいい。というよりも今回の観賞がもっとも心を揺さぶられたかもしれない。純粋にボギー、バコール、ブレナンの歴史的名演を愉しんだ。
(3)イェーツの演出をチェックしたかっただけ。がんばってる。主役の若者トリオも1、2より圧倒的に巧い。が、脚本に問題あり。3、4を見ていないので意味不明なところ多し。いずれにせよ、魔法を扱った話で「死」を描くことはむずかしいことを実感。ゲイリー・オールドマンが死んだように見えない。みんなが「死んだ」と悲しんでいるから「ああ、そうなんだ」の世界。前半の設定は面白いんだけど、後半ばたばた。ストーントンおばさんも急に強くなったり弱くなたり。なんで?の連続。いずれにせよイェーツがスグレモノの監督であることに変わりはない。#6は劇場で見ることを約束しよう。

(4)こんなによく出来た通過儀礼型冒険映画とは思ってもみなかった。ただし、ウィタカーはオスカーに値する名演かというとそうでもない。彼にしてみれば当たり前。本物のイディ・アミン・ダダの怖さはこんなものではない。ウィタカーよりもジェームス・マカヴォイの溌溂主役ぶりに魅せられた。ケヴィン・マクドナルドは「運命を分けたザイル」では買えなかったがこの演出はいい。その上手はスコットランドからウガンダへの距離感で冒頭発揮される。導入部でしか登場しないジリアン・アンダーソンも魅力的だ。「ホテル・ルワンダ」との違いはこういう演出力だ。切りとられる傍役端役エキストラの顔も、両者には雲泥の差がある。その差を見る事ができるかどうかがプロかアマかということになる。ジョー・ライト、デイヴィッド・イェーツに次ぐ英国の俊英といっていい。

(5)フランスZED制作、ジャン・ミシェル・コリリオン演出のこのドキュメンタリーには圧倒された。チベットの秘境ザンスカール高原での少女たちの旅立ちを驚異の景観とドラマ性で綴った一編。「長江哀歌」を褒めるテアイにはこの映像を煎じて飲んでもらいたい。
(6)「チョッパー」一本でこの世界の演出は無理だぜ、ドミニック。原作にブラピーがはまったことは感じ取れるが、映画にするには蛇足のエピソードが多すぎる。1時間は確実にカットできる。言ってくれればやってあげたのに。死ぬ程退屈した前半戦だが後半はケイシー・アフレックの名演もあって飽きなかった。兄貴は一時スターとして注目されたものの大根の代名詞だった。弟は一級のキャラクター・アクターへの道を歩んでいる。今回の助演男優オスカーはハヴィアに持っていかれるが数年のうちには彼も受賞するだろう。ブラピーも、歴代のジェシー・ジェームス役者ではベスト。

(7)たまたまTVをつけたら始まった。原題はBEST LAID PLANS。1999年度作品。導入部のホンがよくて思わず引き込まれ、最後には残念賞の軽さに堕してしまうがそれは演出の責任。テッド・グリフィンは低予算のこの変型ノアールで頭角を表わし「オーシャンズ11」の脚本家に抜擢された。今やAクラス。見事なのはヒロインを演じたリース・ウィザースプーン。オスカーを取った役どころよりもいい。中盤にぞくぞくするような情感を感じさせる。オチの軽さがポイニャンシーに昇華されていないために彼女の名演も空回りしてしまうのだが。助演のジョッシュ・ブロリンも巧い。このころから大器の片鱗を匂わせていたんだね。主役のアレッサンドロ・ニヴォラも魅力的だがリースやジョッシュに遅れをとっている。「ゴール」ではサッカーもうまかった。出世前のテレンス・ハワードもつまらない役をチャーミングに演じている。監督のマイク・バーカーも英国出身。イェーツらよりは大分落ちるが成長株であることは間違いなし。いずれにせよ、携わった人間たちが一流になったわけで時代とともに再評価される作品だろう。

(8)ザ・ウォークの撮影風景に涙、涙。
(9)コーマック・マッカーシーの「ザ・ロード」と奇妙にシンクロする世界観がある。つまり現代にも通ずる大自然と人間の営みが魅力だ。単なるウェスタンではない。時代がジェレマイア・ジョンソンの世界に近づきつつある。通しで見るのは三度目だが、レッドフォードが主演したものの中では最も年月を感じさせない作品ではないだろうか。
(10)古さは如何ともしがたいが、ダスティン・ホフマンのリッツォが登場すると名画が動き出す。やはり若者たちが一度は通過しなければいけない映画であり、時代の記憶だ。愚かな「カーボーイ」表記はやめよう。カウボーイの話なのだから。(11)大落胆。三十年ぶりに見てジェーン・フォンダのオスカー演技に不快感を覚えた。この程度の「わたしに主演女優賞をちょうだい」演技に感動していたとは。
(12)ケン・ロ−チ演出の限界が見える。彼の作品としては平均点。兄弟の描き方が杜撰。
(13)これも時代を超えて輝く名作。コーエン兄弟の中では「ノーカントリー」に匹敵。
(14)既に論じた。
(15)これがまだ二度目だが、以前よりも遥かに感動した。ヒューストン渾身の名画。父親をこれほどカッコ良く描けた監督はジョン・ヒューストンひとりだろう。
(16)四、五回見ているが今回がもっとも醒めた見方かもしれない。導入部、ふたりが河を下るための「契約」が弱い。ボギーがケイトに金で雇われることをはっきりさせた方がいい。でなければ、兄を殺されて狂信的な愛国者になったケイトをなだめすかすために騙し騙し河を下るうちにいつの間にか彼女の術中にハマるとか。中盤から後半はボギーとケイトの魅力で名画の価値を存分に発揮するものの、現時点でのおれの評価は「黄金」よりも格下。ランクが逆転した。

(17)塩屋俊がらみのエピソードあたりでダレたが終盤また勢いを取り戻し安心。全然古くなっていない。音楽もテンポも。四人娘はそれぞれに束の間の青春を燃焼させて気持ちがいいし、ムラジュンも最高。ムラジュンのサップや「伝染歌」でも使ったモロ/遊人中心に今の「渋谷的24時」をやってみたくなる。
(18)Forever FANTASTIC! 
(19) A guide book to the Japanese judicial system. (20)おそらく、今、生涯のトップ10を選ぶとすればこのデイヴィッド・リーン・エピックは五位までに入る。中学生のとき静岡ミラノでの初見以来どんどん近づいている。最初は「大作だが退屈」であったものが十数回の観賞を経て、今や、監督キャリアの目標とも言える。これは映画作りの至福の現場だ。

長くなった。おれも疲れたが読む方も疲れるだろう。21番以降は明日に譲って仕事をしよう。働かなくっちゃ。


2008/02/19 (火)

「捜索者」の恐怖。

「捜索者」スペシャル・エディションを買った。特典映像のスコセッシ、ハンセン、ミリアス三監督称賛トークが素晴らしい。ジョン・フォードとジョン・ウェインのリレーションシップのドキュメントも面白い。十何年ぶりかに作品も見た。で、愕然。

冒頭の家とラストの家が違うじゃないか。重要なことなのに。

勘違いしていた。それよりもなによりもハワード・ホークス・マスターピース「赤い河」との共通項にびっくり。イーサン・エドワーズとマーティン・ポーリーの関係はまったくトム・ダンソンとマシュー・ガースじゃないか。しかも、自らの判断ミスで最愛の人を失ったという冒頭の枷/罪の意識の設定もまったく同じ。というか、喪失感に関してはこちらの方が強烈。

ともかく出だしは完全に「赤い河」を「盗んで」いる。無論、フォードとホークスの「お互い盗み合った」という愛情表現は有名だ。ウェインを育てたフォードが「赤い河」で「演技派」ウェインを見せつけられたことに嫉妬したことはよく知られている。そのダークサイドをさらに突き詰めたのがオール・アメリカン・ワンダラーのイーサンなのだ。

導入部の兄嫁マーサ(ドロシー・ジョーダン)との束の間の交情に自らが法と名乗る聖職者でありテキサス・レンジャース隊長のサム・クレイトン(ワード・ボンド)を絡めた演出がまたうまい。寝室でイーサンのコートを愛おしく撫でるマーサをサムに目撃させておいて居間に出て来た彼女とイーサンの別れに続く。これは画面の真ん中にテキサスのモラルの象徴たるボンドを立たせた3ショット。ボンドは正面を見つめ、フレームの右でイーサンはマーサの額に別れのキス。ドアを出て行くイーサンに続くボンドは怒ったような様子でマーサには一切目をくれない。

トータルで見た感想としては、フォード・ウェスタンの集大成ではあるが「最高傑作」という評価には同意しない。やはり「荒野の決闘」がフォード作品のトップ。「怒りの葡萄」、「わが谷は緑なりき」、「静かなる男」などと形成するその次ぎのグループの一本であることは間違いない。

当然、「赤い河」とは兄弟作品ではあるが、我がマイ・ベストである「赤い河」の王座はゆるがない。こちらもつい最近チェックして深い感動を味わったばかり。芝居のテンポといい、キャラクタリゼーションや人物の出し入れのうまさ、壮大なる継承のステージ、すべてが到達不能の名作中の名作。

ジョン・ウェインのダンソンとイーサンはほぼ互角であってもジェフリー・ハンターはモンティ・クリフトの足下にも及ばないし、ヴェラ・マイルズもジョーン・ドルーに劣る。ワード・ボンドは素晴らしいがウォルター・ブレナンはもっと素晴らしい。オリーヴ・ケイリーの存在感は抜群だが「赤い河」では旦那のハリー・ケイリーが美しく作品を締めている。傍役仇役となるとジョン・アイアランド、ノア・ビアリ・ジュニア等々を要した「赤い河」ストック・カンパニーは無敵だ。「赤い河」礼讃は別の機会に譲るとして「捜索者」最大の問題点を書いておこう。

イーサンの最大の名文句That'll be the dayが訳されていないことに改めて驚いた。考えてみたらおれが日本語字幕付きの「捜索者」を最後に見たのは十代のころだった。後はアメリカでの鑑賞だから気付かなかった。

映画の中で、イーサンはこの名台詞を4回使う。最初はワード・ボンドに対して。次はハリー・ケイリー・ジュニア。最後の2回は短い間隔で二度ともジェフリー・ハンターが相手だ。

「あんたは死んだ方がよかった」と呻くマーティンに対してThat'll be the day.五年ぶりにヴェラ・マイルズのいるジョーゲンセンの牧場へ戻って来たときにマーティンが「おれたちの歓迎会かな」と問うとThat'll be the day.

喜ぶにつけ怒るにつけイーサンの口癖がこれだ。日本語字幕では最初が「バカな」。後の三回は「そんなバカな」。いやいや、本当に、そんなバカな翻訳が記録されているのだ。血涙振り絞って「死ねばいい」と吐き出した若者に返す言葉が「そんなバカな」。おれは瞬間的に卒倒したね。

直訳だったら「いつかそういう日も来るさ」。「いつかそうなるさ」あるいは「そんな日も来るさ」とでも訳せばいいところを「そんなバカな」。

「捜索者」の評価が日米で雲泥の開きがあるのはこういったこととも関係している。字数にこだわって映画の味を損ねている欠陥訳の代表のひとつだ。そのうちにたっぷり書くが「カサブランカ」の「君の瞳に乾杯」もこれと同じ欠陥訳だ。こちらは欠陥訳がひとり歩きしていつの間にか「カサブランカ」を代表する名台詞ということになってしまった。罪は重い。Terror terror...

訂正。「そんなバカな」じゃなくて「何をバカな」だった。「死ねばいい」「何をバカな」。欠陥訳であることは間違いない。

本日はピーター・ボグダノヴィッチの解説入りでもう一度「捜索者」を見た。オーソン・ウェルズやフォードのアネクドートも聞けてそれなりに面白い要素はある。が、彼の話を聞いていると、なぜ「ラスト・ショー」のような美しくノスタルジックな映像の名作を作った彼が70年代で実質キャリアを終えてしまったのかがよくわかる。映画史の研究家としてはいいが、監督としては実に凡庸なコメントも随所にあってそれもまた興味深かった。ただし、これも字幕に随所にミスがある。フォンダのクォートが出て来たところで「ピーター・フォンダ」にしてしまう無知には愕然。ボグダノヴィッチはファーストネームを言わず「フォンダ」とのみ言っているが無論「ヘンリー・フォンダ」のことだ。常識としてフォード映画に関連したフォンダはジェーンでもピーターでもなくヘンリーなのだから。英語では「シークェンス」と言っているのを「シーン」にしているのも困りもの。両者の決定的な違いがわかっていない。こういうコメンタリーは研究用だから字数制限も取り払って情報量を多くすべきなのだが。

ウェルズがフォードとホークスの違いを語ったくだりを「職人」と「詩人」に訳したのも愚か。ホークスはGREAT PRO、フォードがPOETRY。その分け方がいかにもウェルズらしくて面白かった。


2008/02/15 (金)

生涯現役の烈白。

日本映画の黄金期を支えた最後の巨匠が92才で逝った。90代でも映画を監督し続けた生涯現役の烈白を我ら映画人が忘れることはないだろう。しかし、どのオビチュアリーを読んでも虚しさは募るばかりだ。中には、今こそ市川崑の再評価を、といったピントはずれの声もあった。我々映画人は、市川崑がなぜデイヴィッド・リーンになれなかったのかを今こそ検証すべきなのだ。「ヘイ、バディ」を撮ることができたとして、その延長線上にどんなキャリアを彼が夢みていたのか、そのことを論じ、最後の巨匠の夢を実現させなかった日本のシステムを見据えることこそが映画ジャーナリズムに与えられた役割ではないのか。

リーンは1955年に「旅情」を放ち、続く「戦場に架ける橋」の成功で長いこと暖めていた「アラビアのロレンス」に取り組むことができた。映画史上前人未到の名作三連打である。「ロレンス」では撮影実数285日、製作期間2年3ヶ月という映画監督にとっての「理想郷」を築き上げた。この製作費を現代の貨幣価値に置き換えると2億8千万ドルはくだらない、とスティーヴン・スピールバーグは言う。

市川崑には「旅情」があった。つまり、「旅情」と同傾向の興行的批評的成功だ。そこから一気に「戦場に架ける橋」へ続く監督企画のエピックがなかった。ましてや「アラビアのロレンス」の理想郷など夢のまた夢だ。力量は充分にあったというのに。和田夏十との二人三脚の時は、殊に。

一作品に285日を費やすことはできなかったが、生涯を通じての撮影期間はデイヴィッド・リーンを凌いだ。歴代監督の頂点に君臨するかもしれない。そのことを心に刻んで合掌。


2008/02/11 (月)

ホーム・シアター盛況。

困ったものだ。液晶大画面のいわゆるホーム・シアターの魅力に取り憑かれた。マランツの音響もいいしネスプレッソもある。リラックスして映画を楽しむ環境が家の会議室にある。

4月からの日大の授業でも様々なアングルから映画を語る。中心となるのはアメリカン・クラシックだ。改めて作品チェックをしなければいけないという強迫観念もある。映画作りで進化しているならば映画鑑賞力においても進化している。名作であるものが急に駄作になることはないが視点は異なる。

例えば「荒野の決闘」を特典映像つきで見たときも距離感の変化はあった。今、この作品に感動するのはヘンリー・フォンダの存在感が突出しているからだ。ジョン・フォードの演出も、いい映画を作ろうではなくて、フォンダのアープをとことん楽しもうの精神が前面に出ているようだ。なにしろ、作品になる段階ではダリル・F・ザナックの思惑が優先される。それを納得した上で、現場のフォンダを楽しんでいる。それが映画史に残っている。歴史に残る映画というのは主役のスターとしての輝きがあるかないかということだ。単純明快。

技術面でも好きな映画との距離は刻々と変化している。先日TVで「プライベート・ライアン」を見た。最低でも三回は見て今回は五年ぶりぐらい。いつもは圧倒されていた導入部の30分が今回はそうでもない。今の自分にはこの撮影のノウハウはある。これ以上のものを作ることも可能だ。

しかし、終盤30分の攻防はスピールバーグの力が存分に発揮されている。主役グループの配置とそれぞれの行動体系、見せ場の形成、そしてトム・ハンクスの死に様への収束のリズム。神業だ。多くの偶然も作用しているのに違いない。導入部にも無論多くの意図しない効果がある。しかし、あれは偶発事を記録する体制で一週間撮影している。終盤は、言ってみればコレオグラフィーがもっと複雑で細部まで練った撮影プランがある。勢いでは撮ることのできない仕上げのアクションだ。そこにいくつかの「奇蹟」が調味料になっているのだと思う。その意味では「アルジェの戦い」を傑作たらしめる奇蹟と類似している。

これをしのぐアクション・シークェンスを出来るかどうか、おれにはわからない。要は、ハンクスを筆頭にデイモン、サイズモア、ディヴィース、ゴールドバーグ、バーンズといったスターと名優のアンサンブルに匹敵するものを作り上げ破壊するという作業なのだ。「七人の侍」のクライマクティック・アクションに匹敵する神々の領域だ。今まではそのことすら気付かなかった。

あああああああああああああああああああ。

1時間かけて書いていた続きががががががががががががが、

勝手にリセットされたたたたたたたたたたた。

消えたたたたたたたったたたた。

やめた!


 a-Nikki 1.02