2017/05/23 (火) ラテンの官能。
■ 「検察側の罪人」の音楽をイメージしながら、ザビア・クガート楽団を聞いていた。「マイ・ショール」、「パーフィディア」、「シボネー」、「ジャングル・ドラム」、「タブー」、どれも使いたい。
私の世代はいつもどこかでザビア・クガートやペレス・プラードを聞いていた。ちょっと下の世代だとウォン・カーウァイの1960年代三部作「欲望の翼」、「花様年華」、「2046」でラテンの官能の洗礼を受けているのかな。
「2046」は昨夜見直して、改めてチャン・ツィイー様のいじらしさに涙。トニー・レオン様と彼女の交情は、くやしいくらい普遍的な切なさがある。
アトモスフェリックは演出を一切廃して、男と女の情念を記録する映像。彼らの生きている世界は彼らのクロースアップやバストショットの奥の色合いで見せるだけ。同じ手法を「グランド・マスター」で使ったのは愚劣だが、カーウァイは「2046」までは時々傑作を放った。
無論、我が木村拓哉様も見事に存在感を示している。彼のモノローグのセクシーなこと。大傑作「ミリオンダラー・ベイビー」のモーガン・フリーマンのモノローグにも匹敵する。アップになった情念もいい。音楽を流す演出の効果は、キューブリックもやっていたがここでも効果をあげている。
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それでさっきは「欲望の翼」を15年ぶりくらいに鑑賞して、「ジャングル・ドラム」が聞こえなきゃ愚作だなと確認した。導入部の、4月16日の午後3時1分前は切ないんだけれどね。プロットは大ズサン大会で、ラテンの官能のムードだけで流れてしまう。育ての母と実の母へのレスリー・チャンの葛藤など、稚拙極まりない。カリーナ・ラウの大芝居より、マギー・チャンの控えめな芝居が好きだが、ふたりの口論は驚く程ダイアローグの洗練度に欠ける。1990年の映画だから、カーウァイもまだ若かった。
もちろん、マギーは「花様年華」が最高で、これがカーウァイの最高傑作でもあるけれど。
「花様年華」は見るたびに好きになる。来週、クライテリオン版が届くから、また見て、マギーに惚れ直そう。
■ 訂正。アトモスフェリックは、ではなく、アトモスフェリックな演出を一切廃して。
それと、「夜に生きる」のブタみたいなベンアフはなんだ!?無鉄砲なアウトロー時代は、原作では20代だろ?中年太りの体で演ずる場合じゃないぞ、恥を知れアフレック。脚色もド下手。ラストの対決もびっくりするほど杜撰。素晴らしい原作が台無しになった。唯一の救いはシエナ・ミラー。
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